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大沢桃子
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大沢 桃子(おおさわ ももこ、12月22日 - )は、日本の演歌歌手、シンガーソングライター。本名および生年は非公表。所属事務所はビーエスプロダクション。所属レコード会社は徳間ジャパンコミュニケーションズ。
来歴
岩手県大船渡市出身。5歳のときに父を交通事故で亡くし(事故当日は両親の結婚記念日であった)、「母を楽にさせたい」との思いから歌手を目指すため、高校卒業後に上京[1]。上京後、アルバイトや派遣社員として働きながら、歌の教室にいくつも通っていたが、なかなかデビューすることが出来ず、親戚を頼って、「エレキの神様」として有名な寺内タケシに弟子入りし、ライブツアーにスタッフとして同行した。また、歌だけではなく踊りの分野でも浅香光代に師事。1998年9月23日に「娘炎節(じょうえんぶし)」でデビューした。
2008年、千葉県印旛郡栄町のふれあいプラザさかえ文化ホールでファーストコンサートを開催。特別ゲストとして師匠の浅香も駆けつけた。
人物・エピソード
- 身長155cm。血液型はAB型。
- 芸名は浅香光代が名付けた。名字の大沢は、浅香が長年出演していたTBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」のパーソナリティである大沢悠里からつけられた。
- デビュー曲の「娘炎節」と「忘れちゃいやだよ」の作曲は寺内タケシ。
- 女性演歌歌手では珍しいシンガーソングライターとして、「仲村つばき」または「なかむら椿」のペンネームで自ら作詞・作曲を手掛けている。「椿(つばき)」は、出身地である大船渡市の市の花であるツバキよりつけた。なお、最初に自身で作詞・作曲をした作品「夢彩花」はなかむら椿ではなく大沢桃子名義であった。
- 特技である書道は八段の腕前で、新曲用のポスターやCD・カセットテープのジャケット写真の題字の多くは本人により書かれたものである。なお、デビュー直後のサイン会などは油性マーカーを使用していたが、以前より浅香光代が巻紙に筆で書いていたこと、大沢自身も特技をいかせることから切り替えた。
- 浅香光代の弟子ということから浅香主宰の舞台に出演することがある。
- プロフィールによっては「2003年七福神でデビュー」と紹介されている。これはメジャーとしてのデビューである。そのために「第○弾シングル」という際にキングレコード時代の作品は除かれていることがほとんどである。
- かつて事務所の車で東北自動車道を東京へ向かって移動中、立ち寄った都賀西方PAで、大沢を残したまま事務所の車が走り去ってしまうという事件が発生。携帯電話を持って降りていなかった大沢は、藁にもすがる思いで高速道路の非常電話で通報し、事態を説明したところ、電話口のオペレーターに、至って冷静に「それは……置き去りですね」と言われた。
- ステージでは個性的な衣装を着ることが多いが、特に独特な着物のようなドレスのような、振袖にフリルのついた衣装は大沢本人デザインである(大沢は和装ドレスと呼んでいる)。そのことがBSよしもとの「うたフレ」に出演した際に話題になった折、大沢のデザイン画を披露したところ、MCのとにかく明るい安村に「これ阿佐ヶ谷姉妹でしょ!」と言われた。
- 出身地である大船渡市から「ふるさと大使」、岩手県西磐井郡平泉町から「観光大使」をそれぞれ任命されている。
- 大船渡市が実施している「さんま焼き師認定試験」に合格し、さんま焼き師の資格を持つ。この試験は大船渡現地にて二日間に渡って実技と筆記の試験を行う本格的なものであるが、大沢は、自己紹介の際にさんま焼き師であることを話すと大抵、相手の反応が微妙であることに戸惑いを感じている。
- 以前はココログでブログを書いていた(現在はアメブロに移行)。
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ディスコグラフィ
シングル
- 「なかむら椿」「仲村つばき」は大沢のペンネーム。
デュエット・シングル
企画シングル
- 大沢桃子とスーパーピンクパンサー名義。
アルバム
ベスト・アルバム
映像作品
ライブ
ミュージック・ビデオ
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出演
ラジオ
USEN番組
- C/G-23ch 演歌ステーション内 元気はつらつ歌謡曲「大沢桃子の出会いに感謝」(1時間番組)
デジタルラジオ
- お気楽!えんか横丁〜歌謡小町編〜(スターデジオ・STATION 400)…終了
CM
脚注
外部リンク
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