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大藪守治

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大藪守治
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大藪 守治(おおやぶ もりじ、1883年明治16年)10月14日[1] - 1945年昭和20年)10月15日[2][3])は、日本の実業家政治家貴族院多額納税者議員

概要 生年月日, 出生地 ...

経歴

福岡県久留米市苧扱川町(現:久留米市本町)で、実業家・大藪房次郎の三男として生まれる[1][2]。両替町(現: 城南町)に分家した[2]早稲田大学を修了後、欧米に遊学した[3][4]

1909年(明治42年)以降、筑後水力電気社長、九州水力電気取締役、筑後電気取締役、昭和電灯取締役、九州電気協会評議員、久留米商工会議所顧問などを務めた[2][3][4]。筑後水力電気が九州水力電気に合併した際に、その分配金について紛争が生じたが、他の重役よりも社員を優先する立場に立って処理を行った[2]

また、久留米教育支会からの強い要望を受けて、1928年(昭和3年)3月、有馬頼寧との共同経営で久留米昭和高等女学校を設立し、翌年4月に開校した[2][5]。その後、同校は久留米家政女学校の後身校と合併し、現在は福岡県立久留米高等学校となっている[2][5]

1932年(昭和7年)9月29日、貴族院多額納税者議員に就任し[3][6]、1939年(昭和14年)9月29日に再任され[7]研究会に所属して活動したが在任中に死去した[3][8]

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親族

脚注

参考文献

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