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太宰孫九
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太宰 孫九(だざい まごく、1879年10月8日[1][2] - 1942年11月27日[3])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。伊予鉄道電気(現伊予鉄グループ)6代社長[4]。
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経歴
愛媛県北宇和郡二名村(三間町を経て現宇和島市)生まれ[5]。第四高等学校で学ぶ[2][5]。1905年1月に二名村会議員となる[2]。以後、北宇和郡会議員(1911年9月から1915年9月まで)、二名村長(1912年11月から1913年7月まで)を歴任する[2]。
1915年9月の愛媛県会議員選挙に北宇和郡選挙区から、立憲政友会所属で立候補したが次点で落選した[6]。その後、1917年7月の補欠選挙に当選して、同月17日に県会議員となる[2][6]。1919年の県会議員選挙で再選を果たした[7]。1921年12月9日から1923年9月24日までは第11代副議長も務めた[2][8]。1923年の県会議員選挙では予想に反して落選した[9][10]。
1924年の第15回衆議院議員総選挙において愛媛7区から政友本党公認で立候補して当選した[11][12]。政友本党解党後は立憲民政党に参加した[13]。1928年の第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった[14]。1931年の県会議員選挙に当選して、返り咲きを果たした[15]。しかし、1932年10月21日に議員失格となった[16]。
このほか、所得税調査委員、北宇和郡畜産組合長、同郡農会長等の公職のほか、宇和水力電気専務、宇和島製糸社長、宇和製氷専務、穂積銀行取締役、宇和島材木取締役、伊予鉄道電気(現伊予鉄グループ)社長なども務めた[2][5][4]。
長女は俳人の芝不器男と結婚している(芝が婿養子になった)。
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脚注
参考文献
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