トップQs
タイムライン
チャット
視点

学生野球資格回復制度

ウィキペディアから

Remove ads

学生野球資格回復制度(がくせいやきゅうしかくかいふくせいど)は、日本プロ野球を引退した者がアマチュア(学生・生徒)を指導する際に必要な資格を回復する制度。日本野球機構(NPB)だけではなく、独立リーグ四国アイランドリーグplusおよびベースボール・チャレンジ・リーグ九州アジアリーグ日本独立リーグ野球機構加盟リーグ所属球団)を引退した者についてもこの制度が適用される[1]

概要

2013年平成25年)に制定。

学生野球資格回復制度の研修会を受講して後に回復される。資格回復には、プロとアマ両方の研修会を計3日間、受講しなければならない。母校以外で教える場合は、指導を希望する学校の所属連盟に指導者登録する必要がある。

制度の創設以来、多くの元選手が資格回復を認められているが、監督などの肩書でプロ球団に在籍している元選手には原則として資格回復は認められない。しかし、2020年にはマリナーズに会長付特別補佐兼インストラクターとして在籍しているイチローが特例で認定を受けたことが報じられた[2]

なお、プロ野球経験のない学生野球指導者がプロ野球のコーチ・監督を務めた後、退団した場合の扱いは明確にされていないが、スカウト・役員などの球団職員を務めた後に復帰した実例はある。

NPBから無期または永久の失格処分を受けた選手は、研修会の受講が禁じられている。

プロアマ規定の歴史

要約
視点

長年、プロ野球とアマチュア野球には溝がありいくつかの段階を経て緩和されていった[3]

  • 1950年昭和25年):日本学生野球協会がプロとの対戦を認めないよう学生野球憲章を改正。
  • 1961年(昭和36年):プロのスカウト活動が過熱した結果、柳川事件門岡事件が起こり、社会人野球側が断絶を宣言し日本学生野球協会も同調した。
  • 1969年(昭和44年)3月のプロ側からの協議再開の申し入れを受け、共存共栄に向けて歩み出す。
  • 1973年(昭和48年):社会人野球側がプロ経験者の臨時コーチを容認(要資格審査)日本鋼管野球部での荒川博ヤマハ硬式野球部の前身・日本楽器での吉田義男新日本製鐵堺硬式野球部での根本陸夫などの事例があった。大学も元プロの母校での臨時コーチを認める(2001年以降は自身の母校に限らず大学出身者は自由に、高校出身者も年三回・一回三週間に限り許可制で可能に。高卒社会人からプロ入りした元プロ山内一弘が2年間創価大学硬式野球部臨時コーチ務めた事例も)。
  • 1978年(昭和53年)には柳川事件に関する議決を行った後のプロ選手経験者にも監督、コーチ(1チーム2名以内)に限って受け入れを認めることに。

73年のプロ野球ドラフト会議で、愛知学院大のエース・第2回日米大学野球選手権大会日本代表・アマ球界を代表する右投げアンダースロー小林秀一読売ジャイアンツから1位指名を受け迷っていたところ、入団交渉のため名古屋のホテルで会った同郷の川上哲治監督と対面した際に「(入社が内定している)熊谷組野球部は本業の仕事があり次に野球だが、うちは野球で君を欲しいと思っている」と言われたが、仕事として野球を選んだわけではないと考えていた小林はこの言葉で迷いが消え、断る決心がついたという[4][5]。小林は巨人からの1位指名を拒否して入団しなかった唯一の選手である。

拒否した背景として、当時はプロ野球経験者が引退後アマチュア指導者に転進する場合、1961年以降は前述の事件に伴い過去の経緯によるプロアマ規定によって制約が大きく、特に高校生以上の学生野球や社会人野球の指導者になるのが困難だった事も影響している。また50代半ばに受けたインタビューで、プロアマ規定が緩和され学生野球資格回復研修制度実施された現在の様な状況で1位指名されたらどうするかとの問いには「入団していたと思う」と答えている[5]

  • 1984年(昭和59年):教員として勤務が10年を経過した元プロは高校監督に就任できるようになる。プロアマ断絶後、元プロ監督第1号となったのは元東映の後原富
  • 1994年(平成6年):高校球界復帰規定が教諭歴10年から5年に短縮。
  • 1997年(平成9年):高校球界復帰規定が教諭歴5年から2年に短縮。
  • 1999年(平成11年):日本野球連盟に届け出ること、選手登録は1チーム2名までを条件として元プロ野球選手の社会人野球チーム入りが認められ、その年、元阪神タイガース林純次投手が昭和コンクリートに入団した(その前年1998年は林投手は古巣東海理化硬式野球部臨時コーチ務めた)。また、経営陣でも横浜ベイスターズ(現:横浜DeNAベイスターズ)がTBSグループによる経営の時代には、社会人・大学野球界の有力者を経営陣やスカウト部門に採用する試みを行い、成績では結果を残せなかった一方、社会人・大学との関係の円滑化には大きく貢献した。

なお、プロから社会人復帰した選手は所属する企業の社員(クラブチームの場合も何らかの社員・従業員)であることが義務付けられている。

  • 2005年(平成17年):元プロの大学野球の監督就任が可能になる。また現役プロの母校での自主トレが解禁される。
  • 2013年(平成25年):高校監督の教諭歴規定を撤廃。プロ、アマがそれぞれ設ける研修会を修了し、適性検査を経ることで資格を回復できるように緩和された。
  • 2015年(平成27年):日本独立リーグ野球機構所属リーグ出身者が研修受講対象に加えられる[6]
Remove ads

資格回復の流れ

NPBプロ研修会(1日間)→学生野球研修会(2日間)→学生野球適性審査申請→学生野球指導登録届

研修内容

特例措置

野球殿堂入りした対象者に限っては、1日間の研修とレポート提出で代替可能。

資格の喪失

プロ球団と再契約した場合は、この資格を喪失するが、退団後には研修の上で再度資格を取得可能。

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads