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安倍瑞屯

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安倍 瑞屯(あべ ずいじゅん[1])は、江戸時代前期から中期にかけての医師安倍順貞の跡を継ぎ、幕府医官・安部長徳院家(600石)2代となる。僧位は法眼。

概要 凡例安倍瑞屯, 時代 ...

生涯

権大納言芝山宣豊の子[要出典]。旗本・医師安倍順貞の養子[注釈 1]

延宝4年(1676年)に順貞が没したため、その遺跡を継ぎ、侍医となる[1]。延宝8年(1680年)11月25日、将軍継嗣となった徳川綱吉の長男・徳川徳松に附けられ、西の丸に勤務[1]天和3年(1683年)7月5日、徳松が死去したために本丸勤務に戻る[1]。同年12月25日、法眼に叙位[1]

元禄元年(1688年)5月28日、病のために勤仕を怠っているとして奥勤めを免じられ[1]、6月23日に小普請入り[1]。出仕をはばかることが命じられ、元禄4年(1691年)4月24日に赦されている[1]

元禄14年(1701年)12月12日に致仕[1]。宝永5年(1708年)6月25日死去[1]

系譜

以下は『寛政重修諸家譜』による[1]。『寛政重修諸家譜』では姓は「阿倍」表記である[1]

  • 父:阿倍順貞
  • 母:不詳
  • 妻:望月元珍(甫庵)の娘
  • 生母不明の子女
    • 女子 - 安倍瑞運の妻
    • 男子:阿倍正直 - 瑞運の養子となる
    • 女子 - 大岡光義の妻
    • 女子 - 設楽貞政の妻
    • 女子 - 今村長詳の妻
    • 女子 - 坂井政直の妻
  • 養子
    • 男子:阿倍瑞運 - 瑞屯の娘を娶り嗣子となる。

脚注

参考文献

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