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宍戸就延

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宍戸 就延(ししど なりのぶ)は、江戸時代前期の武士毛利家家臣で長州藩家老宍戸家第18代当主。父は熊谷元実。祖父は宍戸広匡。母は杉重政の娘。兄は宍戸就附熊谷就実。正室は阿川毛利家当主・毛利就泰の娘。養子に宍戸広隆

概要 凡例宍戸就延, 時代 ...
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生涯

寛永20年(1643年2月1日毛利氏家臣・熊谷元実の三男として生まれる[1]

延宝4年(1676年12月14日宍戸氏当主となっていた実兄・宍戸就附が嫡男不在のまま死去したため家督を相続し、三丘領主、長州藩の一門家老となった[1]

天和2年(1682年)の朝鮮通信使来朝の際には、赤間関で接待役を務めた。

宝永元年(1704年幕府より江戸城普請助役を命じられ、普請惣奉行を務める。

正徳5年(1715年)、万役山事件により長州藩と支藩の徳山藩が対立すると、翌正徳6年(1716年)に特使として徳山藩に派遣され、徳山藩主・毛利元次の説得にあたったが、長州藩側の意向を尋ねる元次に対して「よくお考えください」と述べるだけで要領を得なかったため不調に終わる。

享保7年(1722年7月21日にある宍戸氏の屋敷[注釈 1]において死去[1]。享年80。宍戸家の菩提寺である周防国熊毛郡三丘久岳山貞昌寺に葬られる[1]。家督は実兄・熊谷就実の子である広隆が相続した[2]

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脚注

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参考文献

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