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宣戦布告

紛争当事者である国家が相手国に対して戦争行為を開始する意思を表明する宣言 ウィキペディアから

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宣戦布告(せんせんふこく、: declaration of war)とは、紛争当事者である国家が相手国に対して戦争行為(hostilities)[1]を開始する意思を表明する宣言である。開戦に関する条約によれば、宣戦布告は戦争行為の開始前に行わなければならない。

概要

要約
視点

宣戦布告とは、相手国や中立国に対し、戦争状態に入ることを告知することである。無条件のものを宣戦布告と言い、条件付きのもの(期限までに何々をしなければ戦争を開始するというもの)を最後通牒と言う。「開戦に関する条約」により、宣戦布告(または最後通牒)は戦争行為の開始前に行わなければならない。宣戦布告により、当事国は交戦国となり、それ以外の国は中立国となる。中立国は、陸戦中立条約、海戦中立条約により、参戦しないのであれば、中立を保つ義務(一方の交戦国に便宜を供与しない義務)を負う。

この外交通告の習慣はルネサンス時代に始まったが、1904年日露戦争が宣戦布告なく始められたこと(2日前にロシアに対して最後通牒していたので問題はないと中立国の中ではされていた)を契機に1907年万国平和会議で討議され[2]、10月18日に署名された「開戦に関する条約」で初めて国際的なルールとして成文化された。「開戦に関する条約」は、「理由付き宣戦布告もしくは条件付き宣戦布告を付した最後通牒の形式で、事前に明示的な警告を行わなければ敵対行為を開始してはならない」と規定した[3]。この条約で宣戦布告の効力は相手国が受領した時点で発生すると定められた。しかし当時はほとんど尊重されず、第一次世界大戦後に国際連盟が改めて定めた。

宣戦布告が行われない国家間の武力紛争においては、通告を受けない第三国に中立法規の適用はなく、第三国は紛争当事国と平時同様の外交関係を保つことが認められる。国交断絶状態でも戦争と判断されるとは限らない。第一次世界大戦後には高度な武力紛争状態であっても、戦争状態ではないとして戦時国際法の適用を免れようとする事例もしばしば存在した。

「開戦に関する条約」は第三条に総加入条項(条約の非締約国が一国でも参戦すれば、そのときから交戦国たる締約国相互間にも条約が適用されなくなるという趣旨のもの[4])が規定されており、イタリアはこの条約に署名したものの批准しておらず、第二次世界大戦に関わる各国の宣戦布告状況は非常に複雑なものとなった。第二次エチオピア戦争では正式な宣戦布告は行われなかった。

第二次世界大戦では多くの国家間で宣戦布告が行われたが、この時期に多くの戦線で戦端の口火を切ったナチス・ドイツはほとんどの戦線において正式な宣戦布告なしに開戦を行っている。また大日本帝国日中戦争支那事変)では宣戦布告を経ていない。対米英宣戦布告真珠湾攻撃マレー作戦開始の後だった。

1945年10月24日に発足した国際連合では、その憲章第2条第3項、第4項において加盟国間での戦争そのものを実質的に禁止すると共に、憲章第51条において武力攻撃を受けた加盟国が個別的自衛権もしくは集団的自衛権を発動した場合の国連安全保障理事会への報告義務を課すことにより加盟国の間での宣戦布告なき戦争を実質的に根絶しようとした。

個別的自衛権集団的自衛権、いずれを発動した場合も、相手国(組織)への宣戦布告および国連安全保障理事会への報告さえあれば正当な武力行使と内外に認定されるわけでは全くない。国際的には憲章第29条による国際戦犯法廷や国際司法裁判所(ICJ)によって開戦理由の正当性や戦争犯罪人が審判されることとなる(e.g. 旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷ルワンダ国際戦犯法廷ニカラグア事件)。

なお、その武力行使の正当性について相手国から宣戦布告が行われたためと相手国に責任転嫁しようとする事例が存在する。エチオピア・エリトリア国境紛争では、紛争勃発後の1998年に行われたエチオピア側のエリトリア非難をエリトリア側が「エチオピア側の宣戦布告」であると宣言し、エチオピア領内に侵攻した事例がある。しかし、両国の外交関係は継続しており、エチオピアのエリトリア非難を宣戦布告と認めた国や機関は皆無であった[5]。同様に、2012年南スーダン・スーダン国境紛争においては、南スーダン共和国大統領サルバ・キール・マヤルディスーダン共和国(北スーダン)側から宣戦布告が行われたと責任転嫁発言を行った[6]

また、外交的駆け引きのために相手国の言動を「事実上の宣戦布告」と宣言するような事例もある。例えば、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、2009年に南朝鮮(大韓民国の北朝鮮での呼称)のPSI全面参加を宣戦布告と見なすと声明[7]を出したほか、2017年9月にもアメリカ合衆国ドナルド・トランプ大統領ツイッターでの発言を、北朝鮮の李容浩外相が宣戦布告であると言及する[8]など、相手国民を困惑させる「瀬戸際外交」をしばしば展開している。

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宣戦布告の無実化

1928年に結ばれた不戦条約や第二次世界大戦後の国連憲章において、戦争を開始することそのものが違法化されたことに加え、ハーグ条約ジュネーブ条約などの重要な戦時国際法は当事国の定義にかかわらずあらゆる武力紛争に適用されるとされたこと、ゲリラやテロリストの参加による紛争形態の多様化によって、今日の紛争においては宣戦布告が用いられなくなっていると指摘されている[9]

実際に、冷戦後も数多くの「戦争」が行われたがそれらのほとんどが、宣戦布告を行わない戦闘行為(武力行使)か、国家対集団あるいは国家内集団の紛争であった[10]。アメリカ合衆国が戦争状態を宣言したのは1942年ルーマニアに対してのものが最後であり、それ以降は武力行使の承認以外行われていない[11]。イギリスについても1942年にタイ王国に宣戦布告したのが最後であり、2006年貴族院報告書は今後も宣戦布告が行われることはないだろうとしている[12]

現代においても自衛戦争は合法とされており、自衛権を行使する際には宣戦布告を行う権利もあると解されるが、紛争が武力行使によって生じた場合と国際法上決定的な違いがあるかは明確でない[13]

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第二次世界大戦後の宣戦布告による戦争

さらに見る 戦争, 開戦日 ...

日本における宣戦布告

要約
視点

大日本帝国憲法第13条で「天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス」と規定しており、天皇大権の一つであった。

大日本帝国憲法下では4回の戦争(日清戦争での対清宣戦布告、日露戦争での対露宣戦布告、第一次世界大戦での対独宣戦布告、第二次世界大戦での対英米宣戦布告)において宣戦布告が行われた[27]

日本国憲法第9条2項には「交戦権の否認」が記されており前文を「広く国家が戦争を行う権利」との解釈を採用する場合宣戦布告の通告は違憲となる。

宣戦布告『 詔書 』(現代語訳)

神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ 大日本帝国天皇は、 忠実で勇敢な 汝ら臣民に はっきりと示す。 私はここに、米国 及び 英国に対して 宣戦を布告する。 私の 陸海軍将兵は、全力を奮って 交戦に従事し、 私の すべての政府関係者は つとめに励んで 職務に身をささげ、 私の国民は おのおのその本文をつくし、 一億の心をひとつにして 国家の総力を挙げ この戦争の目的を 達成するために 手ちがいのないようにせよ。 そもそも、東アジアの安定を 確保して、世界の平和に 寄与する事は、 大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた 大正天皇が 構想されたことで、遠大な はかりごととして、 私が 常に 心がけている事である。 そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びを ともにすることは、 帝国の外交の要として いるところである。 今や、不幸にして、米英両国と争いを 開始するにいたった。 まことに やむをえない事態となった。 このような事態は、私の本意ではない。  中華民国政府は、以前より 我が帝国の真意を理解せず、 みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに 帝国に 武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上 経過している。 さいわいに 国民政府は 南京政府に新たに変わった。 帝国は この政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、 重慶に残存する 蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、 兄弟である南京政府と、いまだに 相互のせめぎあう姿勢を 改めない。 米英両国は、 残存する蒋介石政権を支援し、 東アジアの混乱を 助長し、平和の美名にかくれて、東洋を 征服する非道な野望を たくましくしている。 あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、 わが国に挑戦し、更に 帝国の平和的通商に あらゆる妨害を与へ、 ついには 意図的に 経済断行をして、帝国の生存に 重大なる脅威を 加えている。 私は 政府に事態を 平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、 長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも 互いに 譲り合う精神がなく、 むやみに 事態の解決を 遅らせようとし、その間にもますます、 経済上・軍事上の脅威を 増大し続け、それによって 我が国を 屈服させようとしている。 このような事態が このまま続けば、 東アジアの安定に関して 我が帝国が はらってきた積年の努力は、ことごとく 水の泡となり、 帝国の存立も、まさに 危機に瀕することになる。 こと ここに至っては、 我が帝国は 今や、自存と自衛の為に、 決然と立上がり、 一切の障害を 破砕する以外にない。  皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の 忠誠と武勇を信頼し、 祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに 永遠の平和を確立し、それによって 帝国の光栄の保全を 期すものである。    御名御璽 昭和十六年十二月八日

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アメリカにおける宣戦布告

アメリカ合衆国憲法では、第1条8節11項にて宣戦布告権が規定されている。宣戦布告には連邦議会の承認が必要であり、大統領が単独で発することはできない[28][29]。実際にアメリカ合衆国が正式に宣戦布告を行ったのは憲法制定以後1812年戦争米墨戦争米西戦争第一次世界大戦第二次世界大戦の5回である。

1960年代に激化したベトナム戦争では、アメリカは宣戦布告が行われないまま軍を投入し続けた。このため、戦争の合法性に関する裁判がいくつも提起されたが、アメリカの連邦最高裁は審理もしないまま却下し続けた。しかし1970年4月1日マサチューセッツ州議会で「同州の市民は宣戦布告をしない戦争には参加しなくともよい」との趣旨の州法が可決、翌日には発効することとなったため、州当局は州法の発効には連邦最高裁の同意が必要として上告を行った。同年11月9日に開かれた連邦裁小法廷では、判事9人のうち6人が州法の発効に反対する票を投じて否決された[30]

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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