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小塚和季

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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小塚 和季(こづか かずき、1994年8月2日 - )は、新潟県見附市出身のプロサッカー選手Jリーグ清水エスパルス所属。ポジションはミッドフィールダー。マネジメント会社はエースポーツクリエイション[2]

概要 小塚 和季, 名前 ...

Kリーグ時代の登録名はカズキハングル: 카즈키)[3]

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来歴

要約
視点

プロ入り前

地元のサッカークラブである見附FCのコーチを務めていた父親の影響でサッカーを始める[1]アルビレックス新潟のJ1昇格を見て「地元で活躍したい」と夢を持った[4]。12歳の頃には「サッカーの強い高校に入り、Jリーグへ行き、日本代表になる」と夢を語っていた[5]。中学時に所属していた長岡JYFCでは、フットサルの全国大会で優勝した経験を持つ[6]。この頃共に選抜チームに選ばれ、後にチームメートとなる川口尚紀を、それ以来ずっとライバル視していた、と後に語っている[1][7]帝京長岡高校2年次に北信越プリンスリーグ1部で得点王を獲得[8]。3年次にはU-18日本代表スロバキア遠征に参加した[5] ほか、第91回全国選手権に出場し、新潟県勢28年ぶりとなるベスト8に進出した。3回戦鹿児島城西高校戦では、遊び心溢れるプレーで3得点に絡み、この試合のマン・オブ・ザ・マッチに選出されている[9]

プロ入り後

帝京長岡高校在学中の2012年にアルビレックス新潟から春季キャンプ参加の招待を受け[6]、同年4月に特別指定選手へ登録。背番号34を与えられた[10]。早い段階から周囲の評価は高く、大井健太郎三門雄大は小塚を「天才」と呼び[11]内田潤は「新潟から出してはいけない」と語っていた[12] という。同年11月に翌年入団の仮契約を結び、2013年より正式に新潟へ入団した[13]。加入後は主にボランチを務めていたが、「最初は何をしても上手く行かなかった」と1年目は公式戦出場無しとプロの壁に当たった[14]

2年目の2014年7月にJFL(当時)所属のレノファ山口FC期限付き移籍[15]。左サイドハーフやフォワードなど攻撃的なポジションを多くこなし[16]、山口のJ3リーグ参入に貢献。翌2015シーズンも山口への期限付き移籍期間を延長したが、監督の上野展裕の指示でこの年はボランチへコンバート[16]。出場停止の3試合を除く33試合に出場を果たすなど、中心選手として攻撃を牽引し[2]山口のJ3優勝・J2昇格に貢献した。

「本来自分の持っている感覚を取り戻せた」と自信を持って[14]2016年、新潟に復帰をしたが[17] 、同年はリーグ戦6試合・カップ戦5試合の出場に留まった。出場機会を求め、2017年シーズンに山口へ再度期限付き移籍[18]。シーズン途中で監督が上野からカルロス・マジョールへ交代するなど難しいシーズンを送ったが、チームの攻撃のキーマンとして39試合に出場。チーム最多の8得点を挙げた他、6アシストを記録するなどオフェンス面でハイパフォーマンスを発揮した[19]。12月にはドイツ2部フォルトゥナ・デュッセルドルフの練習に5日間参加した[19]

2017年シーズンを以て新潟を退団し(山口への期限付き移籍も満了)、2018年はヴァンフォーレ甲府に完全移籍[20]。シーズン開始時は吉田達磨、途中からは上野展裕[21] と共にかつて指導を受けた指揮官の元で、ベテラン頼みの体質が改善されたチームの中心の一人としてプレーをした[22]

2019年、J1に昇格した大分トリニータに完全移籍[23]。開幕からスタメンの座を勝ち取ると、リーグ戦33試合に出場。主に3-4-2-1システムの2シャドーの一角として、藤本憲明オナイウ阿道らFW陣を活かす中継点として役目を果たした[24]。同年オフには浦和レッズから獲得オファーを受けたと報道されたが、大分に残留した[25]

2020年も主力の一角として期待されたが、監督の起用方法と自身のコンディション不良が重なり、出場機会を減らし、リーグ戦8試合の出場に留まった。

2021年、川崎フロンターレに完全移籍[26]。シーズン序盤は出番は無かったものの、4月14日のアビスパ福岡戦で初出場。ACLの北京FC戦にて初ゴールを記録。しかし自身でも課題と上げている守備の部分の不安定さもあり、定位置の確保とはならなかった。リーグ戦5試合の出場でプレー時間も72分に留まった。

2022年、前年からの課題であった守備面の改善が見られてきた事により、ベンチ入りや出場機会が増えていった。しかし5月21日のサガン鳥栖戦で先発した試合でハーフタイムで退くと、出場機会が激減。度々ベンチ入りするものの出場機会は訪れず、次に出場したのは10月8日の清水エスパルス戦であった。2022シーズンも定位置確保とはならなかったが、昨シーズンから出場試合と時間を伸ばし、リーグ戦12試合の出場でプレー時間は276分の出場となった。

2023年、背番号を17番から49番に変更した。

2023年7月6日、水原三星ブルーウィングスへの完全移籍が発表された[27]。水原三星ブルーウィングスでは16試合1ゴール2アシストを記録するもチームは史上初のKリーグ2降格となってしまった。2024年シーズン前半も引き続き水原三星でプレーし、11試合に出場して2アシストを記録したが、6月21日、ピーター・マクリロスとの交換トレードの形でソウルイーランドFCに完全移籍[28][29]。2024年シーズン後半戦は19試合に出場して1ゴール3アシストを記録。イーランドはリーグ戦を3位で終えて昇格プレーオフに進み準決勝で全南ドラゴンズを下してKリーグ1クラブとの入れ替え戦となる決勝に進んだが、決勝で全北現代モータース相手に敗れて昇格を逃した。なお、小塚は昇格プレーオフ準決勝には出場したものの、ホームアンドアウェーで行われる決勝では2戦ともベンチ外であった。

2024年12月30日、清水エスパルスに移籍[30]

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プレースタイル

  • 2015年に山口でダブルボランチとしてペアを組んだ庄司悦大からは「相手の逆を突くのがうまいし、それでいて味方へのパスは受けやすいところに出す」とパサーとしての技術の高さを評価する一方で「プレーにちょっと波がある。その波さえなくなれば、相当なレベルの選手になるだろう」とも指摘している[31]
  • 一方で、ヘディングは得意ではなく、川口尚紀とのインタビューで川口のクロスから決めたいと話した際に川口に「ないじゃん」と冗談混じりに返されていた[32]。しかし、2019年の第10節・サガン鳥栖戦ではJ1初得点をヘディングで記録した[33]

人物・エピソード

  • 「数字と言えば14番。ロッカーとかでもいつも見てしまいます」と語るなど、14番を好きな背番号と公言している[34]
  • 実弟はヴィアティン三重所属の小塚祐基[35]

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
  • 2012年 特別指定選手としての公式戦出場は無し(背番号34)

その他の公式戦

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
さらに見る 国際大会個人成績, 年度 ...
  • 2024年
    • K1昇格プレーオフ 1試合0得点
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タイトル

クラブ

レノファ山口FC
川崎フロンターレ

個人

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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