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小松屋百亀

1720-1793, 江戸時代中期の戯作者、浮世絵師 ウィキペディアから

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小松屋 百亀(こまつや ひゃっき、享保5年〈1720年〉 - 寛政5年12月9日1794年1月10日〉)とは、江戸時代中期の戯作者浮世絵師

来歴

姓は小松、通称は三右衛門。小松軒、不知足山人(散人とも)、和気春画(わけのはるえ)、百亀と号す。大田南畝の著『奴凧』によれば元飯田町(現在の東京都千代田区富士見一丁目および九段北一丁目)に住み薬屋を営んでいた人物で、剃髪して百亀と名乗る。若い頃より春画を好み、西川祐信の描いた絵本や春画を集め、自らも春画を描いた。また落し噺の本も多く著し、中でも『聞上手』(安永2年〈1773年〉刊行)という本が大いにはやったという。便秘薬「文武丸」を売り出し、その効能書きの版下を南畝が書いたとも記す。

安永3年(1774年)3月には牛込光恵寺で催された「宝合」という会に、和気春画の名で参加している。『蜀山人判取帳』には百亀自筆の文と自画像が収められており、それには「天明三卯七ツの日」(天明3年〈1783年〉4月7日)という日付と「小松百亀六十四才書」の署名がある。絵については師系不明、明和の初め頃に絵暦摺物を小松軒の名で手がける。鈴木春信らとともに多色の絵暦を製作したことにより、錦絵の誕生に多大な貢献をしている。享年74。墓所は小石川の善仁寺(または大雲寺とも)[1]、戒名は萬暦院円資百亀居士。

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作品

  • 艶道俗説辨』 風俗本 ※「己丑」(明和6年)の序文あり
  • 『古今枕大全』 艶本 ※明和年間
  • 『聞上手』 噺本 安永2年刊行
  • 「酒呑童子」 中判 絵暦、明和2年
  • 「朝鮮人乗馬の図」 中判 絵暦、明和2年
  • 「桜花に雉」 中判 絵暦、明和2年
  • 遊女と禿」 中判 絵暦、明和3年
  • 「楊貴妃」 中判 絵暦、明和3年
  • 「大江山」 絵暦

脚注

参考文献

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