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小林七朗
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小林 七朗(こばやし しちろう、1856年1月9日(安政2年12月2日[1])- 1909年(明治42年)10月31日[1][2])は、明治期の地主、醸造家、実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
甲斐国巨摩郡河原部村[1](山梨県[2]北巨摩郡韮崎町[3]を経て現韮崎市[1])で、大地主[1][4]で屋号「布屋」として知られた豪商の家に生まれた[1][4]。醤油醸造業、酢味噌製造業を営んだ[2][3][4]。
1884年(明治17年)山梨県会議員に選出された[1]。峡北政界で反自由党の中心となり、県内の地主派の指導者として活躍した[1]。1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙で山梨県第1区から無所属で出馬して当選し[1][5]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。
実業界では、韮崎銀行取締役、第十銀行監査役などを務めた[1][2][3][4]。晩年は隠居して神奈川県大磯で過ごし、同地で没した[1]。
国政選挙歴
- 第5回衆議院議員総選挙(山梨県第1区、1898年3月、無所属)当選[5]
- 第6回衆議院議員総選挙(山梨県第1区、1898年8月、憲政本党)次点落選[5]
- 第8回衆議院議員総選挙(山梨県郡部、1903年3月、憲政本党)次点落選[6]
脚注
参考文献
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