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小林光政
日本の官僚・実業家 ウィキペディアから
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小林 光政(こばやし みつまさ、1892年(明治25年)1月13日[1] - 1962年(昭和37年)7月9日[2])は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事、読売新聞社専務取締役。

経歴
栃木県下都賀郡絹村延島(現小山市)出身[1]。小林長蔵の長男として生まれた[3]。第一高等学校を卒業。1916年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1917年3月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し警視庁警部となる[1][3][4]。
以後、警視庁警視、同特別高等課長、兼警察講習所教授、朝鮮総督府事務官、台湾総督府事務官・警務局保安課長、警視庁書記官・官房主事、内務省警保局勤務、福岡県内務部長、埼玉県書記官・内務部長などを歴任[1][3]。
1934年8月、青森県知事に就任。選挙粛正運動を推進[1]。1936年10月、高知県知事に転任[3]。1939年4月、文部省教学局長官に転任し1940年1月まで在任[5]。1942年に退官[4]。その後、九州日報社長、九州日日新聞社長を務めた[3]。戦後、公職追放となる[4]。
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脚注
参考文献
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