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小林房之助
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小林 房之助(こばやし ふさのすけ、1891年(明治24年)1月20日[1] - 1986年(昭和61年)2月26日[2][3])は、大正から昭和期の著述家[4]、実業家、政治家。衆議院議員。

経歴
大阪府[2]大阪市[3][4]で、小林市之助の四男として生まれた[5]。1913年(大正2年)早稲田大学政治経済学科を卒業した[2][3][4][5]。
大阪現株取引(株)支配人、大阪市福島商業学校講師、逓信省海運事業調査嘱託などを務め[2][4][5]、下岡忠治が朝鮮総督府政務総監に就任した際に随行して同秘書(朝鮮総督府嘱託)となった[2][4][5][6]。その他、神戸電機製作所監査役、石産製作所監査役、日本輸出農産物(株)設立委員なども務めた[2][5]。
1937(昭和12年)4月の第20回衆議院議員総選挙に兵庫県第2区から立憲民政党公認で出馬して当選し[7]、翼賛議員同盟に所属して衆議院議員に1期在任した[2][3][4]。1942(昭和17年)4月の第21回総選挙では次点で落選した[8]。戦後、公職追放となった[9]。
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脚注
参考文献
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