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小田切政純
大日本帝国陸軍軍人 ウィキペディアから
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小田切 政純(おだぎり まさずみ、慶応2年2月12日(1866年3月28日)[1] - 1940年(昭和15年)6月7日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階勲等は正四位勲二等功四級[3]。
経歴・人物
長野県の平民小田切与平の長男として生まれる[4]。1900年(明治33年)4月家督を継ぐ[1]。
1891年(明治24年)7月に陸軍士官学校第2期卒業後、翌年3月に陸軍歩兵少尉に任官する[1][5][6]。のち、1902年(明治35年)陸軍大学校第16期を優等で卒業し、歩兵第40連隊附となり、1912年(明治45年)3月に鳥取連隊区司令官・陸軍歩兵大佐となる[1][5]。
そののち、1912年(大正元年)9月に歩兵第39連隊長、1913年(大正2年)8月に第10師団参謀長を経て、1914年(大正3年)8月に在ロシア大使館附武官となり、ウラジオストクに渡りロシアの軍事を調査[1][5]。その功により勲四等功四級を叙勲する[1]。
さらに、1916年(大正5年)8月に陸軍少将、1917年(大正6年)1月に参謀本部附、同年5月に歩兵第15旅団長を経て、1921年(大正10年)6月に陸軍中将に昇進と同時に待命、同年10月に予備役に編入[4][5][7]。1929年(昭和4年)4月に後備役に編入した[3][8]。
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栄典
- 位階
- 1892年(明治25年)7月6日 - 正八位[9]
- 1895年(明治28年)2月28日 - 従七位[10]
- 1903年(明治36年)3月30日 - 従六位[11]
- 1908年(明治41年)5月11日 - 正六位[12]
- 1912年(明治45年)5月10日 - 従五位[13]
- 1916年(大正5年)9月20日 - 正五位[14]
- 正四位[3]
- 勲章等
親族
脚注
参考文献
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