小笠原長煕
武蔵岩槻藩2代藩主、遠江掛川藩初代藩主。忠知系小笠原家5代。小笠原長重の次男。従五位下、壱岐守、佐渡守、山城守 ウィキペディアから
小笠原 長煕(おがさわら ながひろ)は、武蔵岩槻藩の第2代藩主。のち遠州掛川藩の初代藩主。忠知系小笠原家5代。
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生涯
岩槻藩初代藩主・小笠原長重の次男。宝永7年(1710年)5月18日、父の隠居により跡を継いだ。宝永8年(1711年)2月11日、岩槻から掛川に移封される。その後は掛川藩の藩政確立に尽力し、享保7年(1722年)には大井川と天竜川の治水工事を行なっている。元文4年(1739年)4月16日、婿養子の長庸に家督を譲って隠居し、宝暦2年(1752年)3月21日に63歳で死去した。
系譜
父母
- 小笠原長重(父)
正室
- 染 ー 松平頼貞の娘
子女
- 娘(次女) ー 小笠原長庸正室
養子
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