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松平頼貞

江戸時代前期から中期の大名。常陸額田藩2代藩主、陸奥守山藩初代藩主 ウィキペディアから

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松平 頼貞(まつだいら よりさだ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名常陸国額田藩2代藩主、のち陸奥国守山藩初代藩主。官位従四位下侍従大学頭左近衛少将水戸徳川家初代の徳川頼房の孫。

概要 凡例松平 頼貞, 時代 ...
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生涯

寛文4年(1664年)1月25日、松平頼元の長男として誕生。母は小倉藩小笠原忠真の娘嘉禰。元禄6年(1693年)、父の死去により家督を継ぐ。

元禄13年(1700年)9月25日、額田から陸奥守山に移封された。元文4年(1739年)、尾張藩主・徳川宗春に対して蟄居を伝える使者を務めた。寛保3年(1743年)10月28日、家督を三男・頼寛に譲って隠居する。翌延享元年(1744年)8月3日に死去した。享年81。

系譜

頼貞は多くの男子をもうけており、元文から寛保の間に五男頼恭高松松平家を、七男頼済石岡松平家を継いでいる。以後、文化年間(19世紀初め)以降に本家の水戸藩徳川治紀斉昭の息子たちが養子入りするまで、水戸家の連枝4家のうち宍戸松平家を除く3家を頼貞の血筋が占めた。他にも五男の定賢親藩久松松平家を継いでいる。

脚注

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