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小笠原長秀
室町時代の武将、守護大名。室町幕府 信濃守護。小笠原長基の次男。従四位下、従四位上、兵庫助、信濃守、修理大夫。府中小笠原氏11代。 ウィキペディアから
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小笠原 長秀(おがさわら ながひで)は、室町時代の武将、守護大名。信濃守護[1]。小笠原長基の次男。長将の弟、政康の兄。幼名は豊若丸。
初めは上洛して将軍足利義満に出仕した。明徳3年/元中9年(1392年)、相国寺の落慶供養では先陣随兵を務めている。応永6年(1399年)の応永の乱では畠山基国に従って堺を攻め、同年、信濃守護に補任された。入部に先立ち、将軍足利義持は水内郡太田荘領家職について、押領人を退けるよう御教書を発した。
応永7年(1400年)、京都から下向し、国衙の後庁のあった善光寺に入部したが、国人に対する排斥と守護権力の強化は大いに反感を買い、有力武将や大文字一揆勢との大塔合戦へと発展し、大敗して大井光矩の仲介によって京都に逐電した。応永8年(1401年)に信濃守護職を解任され、信濃は幕府の直轄領(料国)となった。応永12年(1405年)に弟政康に家督と小笠原氏の所領を譲渡した。
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脚注
参考文献
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