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小野孝

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小野孝
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小野 孝(おの たかし、1903年明治36年)7月29日[1] - 1988年昭和63年)9月14日[2][3])は、昭和期の政治家衆議院議員(3期)。

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小野孝

経歴

山形県[2][3]南村山郡上山町(現上山市)で、小野英三の長男として生まれる[4]。1926年(大正15年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した[2][3]

青森県師範学校講師嘱託、報知新聞社員、日本故銅統制社員、金属回収統制社員、粉砕鉄球統制専務理事などを歴任した[3][4]

1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙で山形県選挙区から出馬して初当選[2][3]。以後、第24回総選挙[5]まで山形県第1区から出馬し連続して再選され、衆議院議員に連続3期在任した[2][3]。この間、衆議院厚生委員長、民主党代議士会長、同総務委員などを務め[2][3]改進党に所属した[3]。その後、第25回第26回総選挙に立候補したが、いずれも落選した[6]

1973年(昭和48年)秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[7]

1988年(昭和63年)9月14日死去、85歳。死没日をもって正五位に叙される[8]

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脚注

参考文献

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