トップQs
タイムライン
チャット
視点

小野貞樹

平安時代前期の廷臣。小野石見王の子とされる。官位は従五位上・大宰大弐、肥後守。勅撰集『古今和歌集』に2首入集 ウィキペディアから

Remove ads

小野 貞樹(おの の さだき)は、平安時代初期から前期にかけての貴族歌人官位従五位上肥後守

概要 凡例小野貞樹, 時代 ...

出自

一説では長屋王の玄孫に当たる石見王の子とされ[2]、石見王の従五位下への叙爵時期(天長元年〔824年〕)[3]を勘案しても年代的に矛盾はない。しかし、石見王の子と仮定しても、長屋王の後裔はほとんどが高階真人姓を称している中で[4]、貞樹のみ小野朝臣姓を称した理由の説明は付かず、出自ははっきりしない。

経歴

嘉祥2年(849年皇太子・道康親王の春宮少進に任ぜられる。翌嘉祥3年(850年)の道康親王の即位(文徳天皇)に伴って従五位下叙爵し、同年刑部少輔に任ぜられる。

嘉祥4年(851年甲斐守に転じると、その後天安元年(857年大宰少弐貞観2年(860年)肥後守と、専ら地方官を歴任した。この間の斉衡2年(855年)に従五位上に昇叙されている。

勅撰歌人として、『古今和歌集』に2首の和歌作品が採録されている[2]。このうち1首は小野小町とやりとりした贈答歌であり[5]、貞樹を小野小町の夫と想定する意見もある[1]

官歴

注記のないものは『六国史』による。

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads