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のっぺらぼう
日本の妖怪 ウィキペディアから
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のっぺらぼう(野箆坊)は、顔に目・鼻・口の無い日本の妖怪。また、転じて凹凸が(ほとんど)ない平らな状態を形容する言葉[2]。

—竜斎閑人正澄画『狂歌百物語』より
概要
外見は人に近いが、その顔には目・鼻・口がないという日本の妖怪である。古くから落語や講談などの怪談や妖怪絵巻に登場してきた比較的有名な妖怪であり、小泉八雲の『怪談』の「貉(ムジナ、MUJINA)」に登場する妖怪としても知られる。また、しばしば本所七不思議の一つ『置行堀』と組み合わされ、魚を置いて逃げた後にのっぺらぼうと出くわすという展開がある。妖怪としての害は人を驚かすことだけで、それ以上の危害を与えるような話は稀だが、小泉八雲の作品由来と考えられるが、話の筋立てとして「再度の怪」という落ちがよく用いられる。
しばしば各地の物語ではタヌキやキツネ、ムジナといった人を化かすという伝承があり、動物がのっぺらぼうの正体としてあてられることもあるが[3][4][5]、これも八雲の怪談「狢」の表題が由来との説があり[5]。
また、肉塊の妖怪「ぬっぺふほふ」(ぬっぺっぽう)と関連すると思われるが、ぬっぺっぽうの外見は、顔(目鼻口)もあり、胴体がわりに顔にそのまま手足が生えたような妖怪だとされる[3](よって、この定義の「ぬっぺっぽう」に、右図の春町の木版画は当てはまらない)。
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のっぺらぼうが登場する話
要約
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明和4年(1767年)の怪談集『新説百物語』には、京都の二条河原(京都市中京区二条大橋付近)に、顔に目鼻や口のない化け物「ぬっぺりほう」が現れ、これに襲われた者の服には太い毛が何本も付着していたという、何らかの獣が化けていたことを髣髴させる描写がある[6]。しかし正体が不明の場合もあり、寛文3年(1663年)の奇談集『曽呂利物語』では、京の御池町(現・京都市中京区)に身長7尺(約2.1メートル)ののっぺらぼうが現れたとあるが、正体については何も記述がない[7]。民間伝承においては大阪府[8]、香川県の仲多度郡琴南町(現・まんのう町)などに現れたと伝えられている[9]。
小泉八雲の「貉」

以下は小泉八雲の「貉(ムジナ)」のあらすじであるが、作中に「のっぺらぼう」という言葉は登場しない[3]。
江戸は赤坂の紀伊国坂は、日が暮れると誰も通る者のない寂しい道であった。ある夜、京橋の老商人が通りかかると若い女がしゃがみこんで泣いていた。心配して声をかけると、振り向いた女の顔には目も鼻も口も付いていない。驚いた商人は無我夢中で逃げ出し、屋台の蕎麦屋に駆け込む。蕎麦屋は後ろ姿のまま愛想が無い口調で「どうしましたか」と商人に問い、商人は今見た化け物のことを話そうとするも息が切れ切れで言葉にならない。すると蕎麦屋は「こんな顔ですかい」と商人の方へ振り向いた。蕎麦屋の顔もやはり何もなく、驚いた商人は気を失い、その途端に蕎麦屋の明かりが消えうせた。
文中では紀伊国坂に出るムジナ[注 2]を老商人が見た話、とのみあるが[10][11]、要はムジナが人に化けて老人をたぶらかした話であると評論においては解釈される[12]。八雲自身がこれをムジナが化けたものと見立てたかのように「むじな」というタイトルを付けたため、日本の民話にこのような話があったと理解されがちだが、八雲は顔のない女性のお化けの話[13]や、よく似た筋立ての伝承[14]を、日本に来る前から彼の新聞記事や作品でたびたび取り上げている。小泉八雲の曾孫である小泉凡は、この話は巨大な化け物が夜道に現れて人を嚇かすという日本の伝承にヒントを得て、八雲自身の子ども時代の体験[15]と結び付けて出来た八雲の創作だとしている[16]。また、現代においても、ハワイのオアフ島で日系人によってこの話が伝えられ触発されたと思われる怪談話が起きている[17]。
津軽弘前のずんべら坊
巌谷小波による『大語園』などでは、のっぺらぼうはずんべら坊(ずんべらぼう)の名で記述されており、津軽弘前の怪談として、與兵衛という喉自慢の男が、隣村から帰る山道で同じ唄を美声で歌うに聞きほれ、「誰だ」と尋ねると「俺だ」と答えた者が「ずんべら坊」だった。仰天の余り隣村に逆戻りし、知人宅を叩き起こして伝えようとすると、その知人の顔もまたずんべら坊だった、という話がある[18][19][20]
岐阜の土岐氏
戦国武将森長可の『兼山記(かねやまき)』によれば、久々利城城主、土岐三河守(久々利頼興)が悪五郎と称した若いころ、久々利山を夜中に、狩猟のため分け入った際、「長(身長)1丈ばかりの山伏」に遭遇し、組み伏せたところ消えたのでそのまま下山し長保寺で住持(僧)に次第を語ると、僧侶が手を打ち「その化生の者はこんなだったか」と言ったととたん、屋内から「鼻も目もない白瓜のごとき顔のもの限りなく出で来」て、抜刀もままならないので、命運尽きたかとあきらめたところ、風吹いて寺など露と消え、あたりは野原になった、という話である[21][22]。
熊本の重箱婆
→詳細は「重箱婆」を参照
肥後の「ノッペラポンの話」として、次のように伝わる:熊本の法華坂には、重箱婆という者が出ると噂され、正体不明だが怖がられていた。その坂の茶屋で旅人がたたずみ、温かい食べ物を注文し、おかみさんに噂を訪ねると、「出るとも」「重箱婆ってこぎゃんとたい」と答えて目鼻口のない顔を見せた。旅人が坂下の茶屋まで逃げて、そちらの女性に見た話を伝えたが、おなじような台詞で「のっぺらぽん」の顔で振り向いて見せた[23]。肥後の類話では「のっぺらぼん」とつくる[24]。
篠山の怪談七不思議「土手裏のおちょぼ」
兵庫県篠山町(現在の丹波篠山市の一部)に伝わる怪談の2つめに、のっぺらぼうの少女(おちょぼ)が登場する「土手裏のおちょぼ」がある。俗に土手裏と呼ばれた藪の小道を夜に通ると、おかっぱ頭のおちょぼに遭遇する。声をかけると振り返り、その顔は「目も鼻もないヅンベラボウである」[25][26]。
置行堀との組み合わせ

→詳細は「置行堀」を参照
(置行堀の話が展開され、魚を置いて逃げた後)
釣り人が息を切らして置行堀から逃げ出すと、蕎麦屋の屋台を見つける。蕎麦屋の主人は何か作業をしてこちらに背を向けており、顔はわからない。釣り人は恐ろしいことがあったと堀での出来事を話すが、蕎麦屋の主人はまったく驚かず、振り向いた顔には目も鼻も口もなかった。再び驚いた釣り人は今度は自宅に飛んで帰ると、何か作業をして後姿の女房は何をそんなに急いでいるかと聞く。息も絶え絶えに女房にのっぺらぼうにあったと話すと、女房はこちらに振り向き「こんな顔だったか」と目も鼻も口もない顔を見せる。驚いた釣り人は気絶した。
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起源説
要約
視点
中国ののっぺらぼう
紀昀の『閲微草堂筆記』「如是我聞」の部(1791年刊)によれば、崔荘の旧宅に張雲會という奴隷がおり、主人の言いつけで茶道具を運んでいたところ、庭の木の影に髪を垂らした娘が潜んでいた。女中(のサボり)かと思って掴んだところ、振り返った娘の顔は真っ白で、目も鼻も口もなかった、とある。男は絶叫して地に仆れてしまった。口さがない者らは、昔からそういう物の怪のたぐいは出るものさ、と言ったり、娘があざとく白布で顔を覆って化けて見せたのさ、と推理を述べたりしていた[29][30][31]。
霽園主人(和邦額)著『夜譚随録』(18世紀末)に見える「紅衣婦人」という一篇も、のっぺらぼうの話である。北京皇城西安門内の西十庫で酒を飲んでいた男たちの内の一人が放尿に行くと、紅い衣装を来た女が地にかがみ込んでおり、男がからかい後ろから抱きついて女の顔を見ると、豆腐のように白く顔があいまいであった[33][34][30][35][31]。
再度の怪

「むじな」(の類話[注 3])では、二度にわたって人を驚かせるという筋立ての怪談の典型であるが、これは「再度の怪」と呼ばれ、他にも「朱の盆」[36][35][37]や「大坊主」などの話がある。
このような「再度の怪」の怪談は、中国古典の『捜神記』にある「夜道の怪」の影響によるものとされる[38][37]。例に挙げられているのは、じつは『捜神記』所収の「琵琶鬼」[39]と「兎怪」[40]の二編[41]である。前者は(卷十六・三八九話)「鼓琵琶」、後者は卷十七・四〇六話「頓丘鬼魅」などとも称される[42]。
南方熊楠は、上述『兼山記』所収の説話( § 岐阜の土岐氏)には「鼻も目もない白瓜のごとき顔のもの限りなく出で来る」という描写があり、ハーンの『狢』の「いずれも顔が卵のように目鼻口ともになかった」というのは、その「焼き直しであろう」としている[22][43]。
しかしハーン研究家の遠田勝の所見によれば、元からあった「再度の怪」のモティーフは[注 4]に、のっぺらぼうをはめ込んだのは、ハーンによる独創だとしており、各地のよく似た説話は、その派生だとする。上述の『大語園』所収の話( § 津軽弘前のずんべら坊)には「卵のよう」だという表現があり、ハーンがもちいたと同じ表現の痕跡が残ったものとする。荒木精之が昭和期に採集した話( § 熊本の重箱婆)も、ハーンが一時、熊本に逗留した履歴があるため、原話を得た源ではないかという説があるが、採集時期よりはるか以前に遡る話だとする根拠に乏しく、朱の盤系の、鬼面の女の話がハーンの影響でのっぺらぼう説話にアレンジされたとみるのが妥当だというのが遠田の見解である[44]。
ハーン以前の昔話。『兼山記』の久々利城説話については、ハーンとは独自に成立したもので、『曽呂利物語』より話を合成して作り上げたという仮説を立てている[44]。
類例
ぬっぺふほふ(ぬっぺっぽう)はぬっぺらぼうと関連する妖怪と思われるが、その典型的な画像(百怪図巻、化け物尽くし絵巻、化け物尽くし絵巻、百鬼夜行絵巻、化物之繪[46])では、ぶよぶよした肉塊で、贅肉の襞が目鼻口をかたどっているような姿である[47]。一応は顔ありで、頭部が胴体がわりなのが特徴なので、顔がない普通の人型ののっぺらぼうとは一線を画す、と少なくともマイケル・ディラン・フォスターは旧版(2015年)で述べているが[3]、ぬっぺっぽうは皮膚垂れが顔に見えるだけで、実際の目鼻口はない、とも解説される[48]。
ぬっぽり坊主

与謝蕪村の『蕪村妖怪絵巻』にあるのっぺらぼう(右図参照)。京都市の帷子辻に現れたとされ、雷のようにひかる目が尻についているのが特徴[49]。水木しげるの著作などでは「尻目」と表記され、人に会うときは全裸だが、その脱いだ服を抱えているという描写がされている[50][51][52]。
白坊主・黒坊主
目も鼻もない女鬼
女鬼(めおに)の名前については不明だが、『源氏物語』「手習」の記述に、「昔いたという目も鼻もない女鬼(めおに)~」といった記述があり、のっぺらぼうの源流と見られる妖怪(顔のない鬼)が平安時代から言い伝えられていた[54]。
綾織村駒形神社縁起
時代は下って、『遠野物語拾遺』によれば、綾織村駒形神社(現・遠野市綾織町)が建てられた由来は、むかし「旅人が目鼻もないのっぺりとした子供に赤頭巾をかぶせたのを背中におぶって通りかかった」とあり、その旅人がこの場所でたたずんだとも、この地で死んだとも伝わるが、それがきっかけという[55]。
のっぺらぼうの伝承には、このように口のあるタイプがある。
お歯黒べったり
お歯黒べったりはのっぺらぼうの類とされる[48]。女性の妖怪で、お歯黒の口はあんぐりと開くが、目も鼻もない。「のっぺらぼうで、口を開けてニタニタと笑」うと形容される[56]。
ケナシコルウナルペ
ケナシコルウナルペは アイヌに伝わる女の邪神。普通は髪に顔が隠れているなどと形容されるが[57]、村上の辞書によれば、目と口がなく、鼻のみの怪女で、顔面は黒いという伝承もある[58]。
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比喩
凹凸がなく、すべすべした物体(卵など)の形容にも用いられる。また、自分の考えや主義主張を持たない無個性な人物の形容にも用いられることがある。
脚注
関連項目
外部リンク
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