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尾野実信
日本の陸軍軍人 ウィキペディアから
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尾野 実信(おの みのぶ、1865年12月2日(慶応元年10月15日) - 1946年(昭和21年)4月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。A級戦犯として絞首刑となった武藤章(陸軍中将)は娘婿。
経歴
福岡県(朝倉郡甘木)出身。黒田藩士尾野実治の長男として生れる。1888年(明治21年)7月、陸軍士官学校(旧10期)を卒業し、歩兵少尉に任官、歩兵第14連隊小隊長に就任した。1896年(明治29年)3月、陸軍大学校(10期)を首席で卒業した。日清戦争出征のため、陸大を一時中退し戦後に復校している。参謀本部員、ドイツ駐在、中部都督部参謀、大本営参謀などを歴任。
日露戦争では、満州軍参謀兼大山巌元帥副官として出征し、さらに満州軍総兵站監部参謀となった。参謀本部員兼大山元帥副官、陸軍省軍務局歩兵課長、ドイツ大使館付武官、歩兵第37連隊長、中清派遣隊司令官を経て、1912年(明治45年)3月、陸軍少将に進級し、歩兵第8旅団長、参謀本部第1部長、同総務部長を歴任。1916年(大正5年)8月、陸軍中将となり、第10師団長、第15師団長、教育総監部本部長、陸軍次官、兼航空部長を歴任。
1922年(大正11年)5月、陸軍大将となり、関東軍司令官、軍事参議官を勤め、1925年(大正14年)5月に予備役に編入。
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栄典
- 位階
- 1905年(明治38年)4月7日 - 正六位[1]
- 1907年(明治40年)12月27日 - 従五位[2]
- 1912年(明治45年)5月10日 - 正五位[3]
- 1916年(大正5年)9月11日 - 従四位[4]
- 1918年(大正7年)10月10日 - 正四位[5]
- 1925年(大正14年)6月24日 - 正三位[6]
- 勲章等
脚注
参考文献
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