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山内豊誠
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山内 豊誠(やまうち とよしげ)は、幕末の大名。明治時代の貴族院議員。土佐国土佐新田藩6代(最後の)藩主。実父は山内豊充(4代藩主・山内豊賢の弟)。
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略歴
明治元年(1868年)6月10日、先代藩主・山内豊福の養子となる。新政府に対して、豊福の自殺を隠し、重病のためとしていた。同年9月16日、豊福の死が公表され、豊誠が正式に跡を継いだ。戊辰戦争では新政府側として武功を挙げたため、5000両の恩賞を与えられた。明治2年(1869年)、版籍奉還により藩知事となる。明治3年(1870年)9月25日、廃藩置県に先立ち、土佐新田藩は本藩に編入、廃藩となる。同3年11月10日、明治天皇の次侍従となる。明治4年(1871年)7月28日、次侍従を退任する。
その後、新政府の役人となって司法省や宮内省に出仕した。明治14年(1881年)判事となる。明治17年(1884年)子爵を授けられた。明治23年(1890年)7月10日、貴族院議員に選ばれ[1]、亡くなるまで在任した[2]。明治41年(1908年)2月19日、67歳で死去した。
脚注
参考文献
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