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山本実庸

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山本実庸
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山本 実庸(やまもと さねもち)は、幕末公家、明治から大正期の宮内官・政治家華族貴族院子爵議員

概要 凡例山本実庸, 時代 ...

経歴

山城国京都右近衛権中将山本実政の長男[注 1]として生まれる[1][3]万延元年11月1860年12月 - 1861年1月)従五位下に叙され、慶応元年5月1865年5月 - 6月)に元服して昇殿を許され従五位上に叙された[4]。父の隠居に伴い、1875年(明治8年)10月23日、家督を相続[1][3][5]1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[1][3][5][6]

1876年(明治9年)12月、淑子内親王家祗候に就任[2][3][5]。以後、京都宮殿勤番、殿掌などを務めた[2][3][5]1897年(明治30年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[7][8]1911年(明治44年)7月9日まで2期在任した[2]

栄典

系譜

  • 父:山本実政
  • 母:家女房[11]
  • 妻:卜半寿子(ひさこ、卜半了達二女)[1]
  • 長男:山本公茂(子爵)[1]
  • 長女:益子(愛知県海西郡の大地主・横井東左衛門の長男・横井行壽の妻)[12][13]
  • 二女:章子(大森喜一の妻)[1]
  • 二女:冬子(福井出身の役人・磯松定士の妻)[14][15]
  • 四女:具子(伯爵室町公藤の妻)[1]
  • 五女:照子(東京の印刷会社経営者・丸光の妻。生母は山下志う)[16]
  • 五男:山本公富(子爵。生母は山下志う)[1]
    • 養子:山本公慶(伯爵、室町公藤二男)[1]
  • 六女:糸子(圓照寺門跡山本静山。生母は山下志う)[1]
1916年生まれ。大覚寺前の宮大工の今井小三郎・やな夫婦の里子として育てられ、5歳で大聖寺 (京都市)を経て伏見宮邦家親王第7王女・文秀女王が門跡を務めていた円照寺に入山し、1939年に同寺の10代目住職となる[16]。華道・山村御流の家元として三笠宮妃、常陸宮妃ら旧皇族や女官らに挿花を教えたほか、高島屋でも教えた[16]。著書に『花のこころ―奈良円照寺尼門跡といけばな』 (主婦の友社、1968)など。大正天皇の娘とする説がある。
  • 弟:玉松真幸(貴族院男爵議員、玉松真弘養子)・穂穙俊香(男爵、穂穙籌子入夫)[1]
  • 妹:泰子(熊本男爵細川忠穀の妻)

脚注

参考文献

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