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川崎市岡本太郎美術館
神奈川県川崎市多摩区桝形の生田緑地内にある市立美術館 ウィキペディアから
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川崎市岡本太郎美術館(かわさきしおかもとたろうびじゅつかん、Taro Okamoto Museum of Art,Kawasaki)は、神奈川県川崎市多摩区桝形の生田緑地内にある市立の美術館。芸術家、岡本太郎より川崎市に寄贈された作品1779点を所蔵・展示している。太郎の死後3年後の1999年に開館。
なお生田緑地には、同じく川崎市立の美術館「藤子・F・不二雄ミュージアム」(多摩区長尾)も所在する。
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概要
1991年(平成3年)11月、岡本太郎所有の作品352点が川崎市に寄贈されたことに伴い「岡本太郎美術館建設計画」が持ちあがる。
1992年(平成4年)6月、「仮称岡本記念館建設構想委員会」が設置された1993年(平成5年)3月、基本構想が発表され、続いて基本計画が発表された。建設地は生田緑地内の噴水広場で、施設面積5000㎡の完全地下式美術館と高さ45mのシンボルタワーである。1994年(平成6年)3月、建設地の環境調査の結果により、噴水広場奥の谷戸に建設、シンボルタワーの高さを40mに変更した。
1995年(平成7年)6月、川崎市は建設地を再度変更し、生田緑地内にあるゴルフ練習場[注釈 1][注釈 2]に決定した。
1996年(平成8年)1月7日、岡本太郎が没し生前の美術館開館には至らなかった。同年11月、岡本美術館建設工事が着工される。
1999年(平成11年)2月、美術館は竣工、同年10月30日に開館[1]した。
なお当美術館にちなみ、多摩区内の和菓子店が共同で土産菓子「TAROの夢もなか」を開発した。太郎の言葉「芸術は爆発だ」を味で表現するため、もなかの皮に唐辛子を練り込んでいる。「かわさき名産品」にも選ばれ[2]、多摩区内および麻生区内の和菓子店で販売されている[3]。
2022年(令和4年)9月、施設の老朽化に伴う修繕工事のため、2023年1月まで休館し[4][5]、2023年2月1日に再開した[6]。
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施設
- 美術館
- 常設展示室 - 岡本太郎の芸術作品、著作、パフォーマンス、フィールドワーク等の軌跡を伝えるための展示環境を備え、芸術活動の分野や内容、作品の特徴や形状、時代ごとの傾向など、独自の空間によって構成されている。各ゾーンでは、作品を映像・グラフィックで見せる空間構成がされ、照明効果・映像の演出によって紹介している。従来の美術館の鑑賞する展示ではなく、岡本太郎の世界を体験できる展示空間となっている。
- 企画展示室 - 岡本太郎の作品や資料の展示だけでなく、新人作家の紹介と作品、幅広い現代美術、参加型の展覧会などの展示空間が可能となっている。
- 設計者 - 建築本体:川崎市まちづくり局施設整備部、株式会社久米設計。母の塔:川崎市教育委員会、株式会社現代芸術研究所。

- 母の塔
- シンボルタワー「母の塔」は、「大地に深く根ざした巨木のたくましさ」「ゆたかでふくよかな母のやさしさ」「天空に向かって燃えさかる永遠の生命」をテーマとして製作された。原作者は岡本太郎で、1971年(昭和46年)に原型が制作された。実際の塔は全高30m。
- 交通アクセス
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沿革
- 1991年
- 11月 - 川崎市が岡本太郎から作品352点の寄贈を受ける。
- 12月 - 川崎市が岡本太郎の美術館建設を決定。
- 1992年
- 6月 - 「仮称岡本記念館建設構想委員会」を設置。
- 7月 - 川崎市、環境基本条例施行。
- 9月 - 川崎市環境保全局・多摩区役所・市民の共同作業で作成した「生田緑地整等備構想等懇談会報告書」を発表。
- 1993年
- 1月 - 岡本太郎に川崎市名誉市民を贈る。
- 3月 - 「仮称岡本記念館建設基本構想」を策定。
- 3月 - 岡本太郎所有の作品1427点が追加寄贈される。
- 4月 - 「仮称岡本記念館建設基本計画策定委員会」を設置。
- 7月 - 「仮称岡本記念館建設基本計画」を策定、「仮称岡本太郎美術館建設委員会」を設置。
- 7月 - 川崎市長・教育長が「基本計画 5000㎡の完全地下式美術館と45m のシンボルタワー及び建設地 生田緑地の噴水広場」を発表。
- 11月以降 - 川崎市が「噴水広場周辺環境調査」を実施。
- 1994年
- 3月23日 - 市議会において、環境調査の結果、噴水広場奥の谷戸に建設、シンボルタワーは40mにすると報告。
- 10月12日 - 川崎市、大規模事業の環境調査指針施行。

- 1995年
- 3月 - 建築基本設計、展示基本設計、シンボルタワー基本設計が完了。
- 6月27日 - 川崎市、生田緑地ゴルフ練習場を建設地に決定。
- 7月25日 - 教育委員会、建設地をゴルフ練習場に決定。
- 12月19日 - 川崎市、ゴルフ練習場を視察、住民説明会を開催。
- 12月 - 「仮称岡本太郎美術館資料収集委員会」「同評価委員会」を設置。
- 1996年
- 1月7日 - 岡本太郎死去、享年84歳。
- 3月29日 - 建築実施設計、展示実施設計、シンボルタワー実施設計完了。
- 4月19日 - 川崎市、まちづくり公社へ買取価格93億3千万円で建設事業実施依頼書出す。
- 5月29日 - 川崎市、実施設計・環境影響評価(環境アセスメント)を発表。
- 6月 - アートガーデンにおいて「岡本太郎追悼展」開催。
- 7月17日 - 川崎市、8月上旬着工手続きを表明。
- 8月8日 - 建築審査会。
- 8月30日 - 岡本美術館建設の外構工事着工。
- 9月20日 - 川崎市まちづくり公社が工事入札を実施、本体工事の建設請負業者に戸田建設、株式会社北島工務店等が落札し仮契約締結。
- 11月1日 - 岡本太郎美術館建設工事の本契約締結。
- 11月21日 - 川崎市、美術館の本体工事に着手。
- 1997年
- 2月26日 - 岡本太郎美術館建設工事、展示工事竣工。
- 3月 - 「仮称岡本太郎美術館運営準備協議会」「同調査委員会」を設置。
- 4月 - 川崎市岡本太郎美術館を発足。財団法人川崎市博物館振興財団に管理運営を委託。
- 4月 - シンボルタワー「母の塔」工事竣工。
- 10月30日 - 川崎市岡本太郎美術館開館。開館記念展「多面体・岡本太郎 - 哄笑するダイナミズム」展開催。
- 2003年4月 - 岡本敏子所有の岡本太郎関連資料1827点が寄贈される。
- 2004年10月 - 開館5周年記念「テレビ発掘まる裸の太郎展」展開催。
- 2005年4月 - 岡本太郎の養女・岡本敏子没。
- 2009年4月 - 開館10周年記念展「岡本太郎の絵画」展開催。
- 2012年4月 - 北条秀衛が館長に就任。
- 2014年
- 7月 - 川崎市制90周年記念展「岡本太郎とアール・ブリュット 生の芸術の地平へ」展開催。
- 10月 - 開館15周年記念展「TARO賞の作家II」展開催。
- 11月 - 開館15周年記念イベント「TARO祭り」開催。
- 2015年
- 2月 - 「母の塔」補修工事完了。
- 4月 - 「川崎市岡本太郎美術館資料収集委員会」「資料評価委員会」が廃止。
- 6月 - 「川崎市岡本太郎美術館協議会」が廃止。
- 10月 - 「川崎市文化芸術振興会議施設部会」を設置。
- 2022年
- 9月 - 老朽化に伴う修繕工事で一時休館。
反対運動
要約
視点
この美術館建設地を巡って「自然を破壊する」として、一部の自然保護を訴える地域住民から反対運動が起こり、1993年に結成された市民団体「生田緑地の自然を守る会(代表・江田雅子)」が川崎市を相手取り訴訟を起こすまでに発展。原告として動物・昆虫・植物(ホンドギツネ、ホンドタヌキ、ギンヤンマ、カネコトタテグモ、ワレモコウ)を原告として争うという「自然の権利訴訟」となった。
1997年1月24日、生田緑地の自然を守る会が『川崎市生田緑地岡本太郎美術館建設公費違法支出差止請求事件(生田緑地・里山・自然の権利訴訟)[7]を横浜地方裁判所に提訴した。
その後、4年半に及ぶ裁判で公判が27回開かれ、2001年(平成13年)6月27日に「生田緑地・里山・自然の権利訴訟」の判決が確定。環境影響評価手続を経ないまま美術館建設に公金が支出されたことはアセスメント条例違反ではあるが、市に損害をもたらしたとは言えないとして、原告らの請求が棄却された[8][9]。確定判決を受け、翌2002年5月26日「生田緑地の自然を守る会」は解散した。
反対運動の歴史
- 1993年
- 8月5日 - 「生田緑地の自然を守る会」(以下「守る会」)結成。川崎市長に「岡本美術館の用地決定を白紙撤回要望書」を提出。
- 12月7日 - 川崎市、守る会へ説明会を開催。
- 3月31日 - 川崎市、多摩区町内会連合会へ説明会を開催。
- 5月24日 - 守る会、建設用地の変更と生田緑地の自然保全の請願書を提出(署名数8000名)。
- 7月21日 - 稲田郷土史会、建設計画の変更求める陳情書を提出。
- 1994年
- 3月7日 - 日本ナショナルトラスト、市長に「自然環境と景観を破壊する」と見直し要望書を提出。
- 11月18日 - 梅原猛等の知識人[誰?]、建設の再考を求め意見書を提出。
- 1995年
- 1996年
- 1997年
- 2001年
- 2002年5月26日 - 第6回総会で「生田緑地の自然を守る会」解散。
訴訟
原告の主張
- 原告の主張の要約[10]
- - 生田緑地の自然を守る会が、川崎市はアセス条例に違反しているとして、「違法な手続きによる建設費」の支出71億円の返還を請求した。
- - 横浜地方裁判所は、返還請求を棄却したが、「市は環境アセス条例に違反」「公金支出は違法と認められる」と、市の違法性を認めた。
- - 川崎市のアセス条例は、「開発地域が1万㎡以上の場合は、環境影響評価報告書の提出義務」と「市民は意見書の提出と公聴会の要請」ができる。
- - 川崎市は、「開発地域の面積は9468㎡、環境影響調査を行った」とし、「審議会設置を含むアセスの必要性はない」と主張した。
- - 生田緑地の自然を守る会は、「敷地外の工事用仮設進入道路等も開発行為に当たる」、「開発地域は1万㎡を超えている」と主張し、この主張が認められた。
- - 生田緑地の自然を守る会は、建設地を生田緑地以外の代替地も提案したが、川崎市は生田緑地内の建設に最後までこだわった。
- 原告による「アセスメント手続き違反」の主張[10]
- - 本件において実施設計段階において予定されていた盛土、切土及び擁壁設置といった造成工事、並びに、U字溝設置及びポラコン設置といった屋外付帯工事は、一体のものである。
- - 前記工事の目的及び客観的性質より、建物の安全性に供するためのものである。したがって、これらの工事は、「建築物の建築の用に供する」ものであり、これらの工事が行われる範囲は、開発区域である。
- - 前記造成工事及び屋外付帯工事が行われる工事範囲の中で「敷地」が切り取られたとしても、それら工事が一体である以上、「敷地」境界線の内側の工事が「建築の用に供するため」であり、「敷地」の外の工事は「公園整備のため」と区分することは不可能である。検討すれば、「敷地」として本件実施設計図等の上に引かれた線は本件開発区域の範囲の判断において何ら意味をもたない。
- - 実施設計において計画されていた屋外附帯工事及び造成工事については、いずれについても、その工事範囲は、1万平方メートルを超えるものである。したがって、本件美術館建設事業における開発区域は1万平方メートルを超えるのであるが、それにも係わらず、環境影響評価を行わずに本件事業を行ったことは、アセスメント条例に違反する。
判決
平成九年 川崎市生田緑地岡本太郎美術館建設公費違法支出差止請求事件— 横浜地方裁判所第一民事部 平成9年9月3日 抜粋
- 判決
- 原告:ホンドギツネ、ホンドタヌキ、ギンヤンマ、カネコトタテグモ、ワレモコウ
- 原告代理人弁護士:朝倉淳也、佐和洋亮、海野浩之、坂元雅行、関口桂織
- 被告:川崎市長 高橋清、財団法人川崎市まちづくり公社理事長 大熊辰熊、小机實
- 被告代理人弁護士:石津廣司
- 主文
- 一 本件訴えを却下する。
- 二 訴訟費用は、原告ら代理人の負担とする。
- 事実及び理由
- 一、二(以上中略)
- 三 本件訴えは、当事者能力を欠く動植物を原告として提起された不適法なものであり、これを補正することができないことは明らかであるから、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法202条により、口頭弁論を経ないでこれを却下することとし、主文の通り判決する。
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注釈
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出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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