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岡田利兵衞
国文学者 ウィキペディアから
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岡田 利兵衞(おかだ りへえ、1892年(明治25年)8月27日[1] - 1982年(昭和57年)6月5日[1])は、国文学者。号は柿衞。聖心女子大学名誉教授。伊丹市長、伊丹市名誉市民。柿衞文庫設立者。逸翁美術館元館長[2]。
経歴
1892年、兵庫県伊丹市生まれ。生家は江戸時代より続く酒造業を営む岡田家であり、22代目当主として利兵衛を襲名。1918年、京都帝国大学文科大学国文科を卒業。
卒業後は梅花女子専門学校で教鞭をとる。1937年10月から1939年7月まで伊丹町長をつとめた。戦後の1945年12月17日、第4代伊丹市市長に就任。1946年11月26日に退任するまで[3]、戦後復興に尽力した。市長退任後は公職追放となった[4]。
追放中の1948年11月、小林聖心女子学園の聖堂で末娘彰子とともにカトリックの洗礼を受ける。洗礼名はフランシス・トマ。翌1949年には、自宅でミサを行った(現:「王たるキリストカトリック伊丹教会」)。そして、その後は聖心女子大学教授をつとめた。1963年に聖心女子大学を定年退職し、名誉教授となった。
受賞・栄典
研究内容・業績
国文学者として
鳥類研究
- 1920年(大正9年)ごろから町長に就任する1935年(昭和10年)ごろにかけて、自宅庭に「岡田洋鳥研究所胡錦園」とする禽舎を設け、外国産鳥類の飼育と研究に熱中する。
- 山階芳麿らが創設した「鳥の会」に参加し、飼鳥展覧会の審査員や講演会の講師として活動する。その功績により昭和2年フランス馴化協会鳥類部よりメダルを授与される。その後、紫紺鳥の観察によりその区別を試み、瑠璃鳳凰(ルリホウオウ) の新種を発見し、昭和5年に発見者岡田の名を付して、山階によりProsteganura haagneri okadaiと命名された[8][9]。
町長・市長として
家族・親族
号(柿衞文庫)の由来
著書
- 『俳人としての寿江女』岡田柿衛 山崎常治良 1942
- 『俳画の世界』淡交新社 1966
- 『芭蕉の風土』白川書院 国文叢書 1966
- 『芭蕉の筆蹟』春秋社 1968
- 『俳画の美 蕪村・月渓』豊書房 1973
- 『俳人の書画美術 第5巻 蕪村』集英社 1978
- 『岡田利兵衛著作集』(全4巻、八木書店、1997年-1998年)
共編著・校注など
脚注
参考文献
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