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岡部達
日本のアナウンサー (1934-2022) ウィキペディアから
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岡部 達(おかべ たつ[1]、1934年11月17日[2][3] - 2022年8月26日)は、日本のアナウンサー。
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経歴・人物
早稲田大学教育学部[5]を卒業して[6]1957年4月にラジオ東京(現・TBS)へアナウンサー5期生として入社(同期には青柳純一、金坂光春、仁村秀雄、山本文郎、麻生雅子、石川知子、大場ゆかり、草間範子、佐藤美智子、鈴木美江、須藤孝子、前田和子、町田教子[注釈 2]、三好和子)[8]。主にスポーツ実況(野球、ボクシング、フィギュア、ラグビー、アイスホッケー)やラジオDJを担当していた[9]。1963年11月1日に報道局運動部兼ニュース部アナウンサーとなる[10]。1967年11月15日にアナウンサー研修室設置に伴い報道局運動部兼アナウンサー研修室付[11]、1970年7月にラジオ本部アナウンス室兼テレビ本部報道運動部勤務の後[9]、1977年3月にラジオ本部アナウンス室(1983年6月29日にラジオ本部アナウンス部に組織変更[12])のみ所属となる[9]。近代オリンピックでは1964年(東京)と1972年(札幌)の二度にわたり実況を担当[6]。このうち、札幌の開会式ではテレビ中継を担当した[9]。ボクシング中継では、具志堅用高のWBA世界ジュニアフライ級(ライトフライ級)王座初挑戦の試合(対ファン・ホセ・グスマン)を担当[9]以来、13回目のタイトル防衛戦まで担当した(王座陥落の14回目は、平原晋太郎が担当[注釈 3])。1986年5月に秘書室へ異動[9]しアナウンス職から離れる。
1988年2月のテレビ本部社会情報局異動[9]後は、4月から1992年3月までの4年間城戸真亜子と共にワイドショー番組『3時にあいましょう』のメインキャスターを務めた。
1992年6月にテレビ総局ネットワーク局JNNネットワーク協議会事務局へ異動[9]後、1994年11月にTBSを定年退職[9]。定年退職後は、短期大学講師やTBSアナウンススクール特別講師を務める[6]。
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家系
詳細情報
出演番組
スポーツ中継
スポーツ中継以外
- ラジオ
- 若い目のパリ(1961年)[9]
- 今週のベストテン(1963年)[9]
- フェザー・シルバー・タイム(1963年)[9]
- パーソナル・ダイヤル(1967年)[9]
- ミュージックパトロール(1970年)[9]
- ミュージック・オン・ステージ(1974年)[9]
- テレビ
- スポーツデスク(1975年 - 1976年。1975年4月5日より土曜日に放送していたスポーツ番組。1978年開始のスポーツニュース『JNNスポーツデスク』とは別番組)[9]
- 3時にあいましょう(1988年4月 - 1992年3月)
- オールスター感謝祭
出演映画
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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