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島卓視
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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島 卓視(しま たくみ、1967年10月3日 - )は、徳島県出身の元サッカー選手(FW/MF)、指導者(JFA公認A級コーチ)。
KELT FC(旧NETZ8FC)代表兼ジュニアユース監督。
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来歴
徳島県立徳島商業高等学校卒業[2]。同期に東泰らがいる。
1986年、サンフレッチェ広島の前身であるマツダSCに入団する[2]。同期入団には前川和也や横内昭展らがいる[2]。現役時代は得点力のあるFWとして活躍した[2]。1987年の天皇杯決勝は途中出場を果たしている。
1993年Jリーグが始まると高木琢也との2トップを組み、高木のポストプレーを活かして得点するシャドーストライカーとして活躍した[2]。1994年前期サントリーシリーズのステージ優勝時も、当初は島がレギュラーでイワン・ハシェックからレギュラーポジションを奪っていた[2]。ただJリーグでプレーしていた時期はほとんど足の怪我とリハビリの連続で、結局怪我が原因で1995年に引退[2]した。
引退後はサンフレッチェ広島のコーチに就任し、エディ・トムソン監督の下で学んだ。またプレースタイルの似ていた高橋泰にかなりアドバイスを送っていた。さらには、解説者として『進め!スポーツ元気丸』に出演もしていた。
2001年、トムソン監督退任とともに広島の育成組織へ、特にジュニアユース世代の指導者として活躍する。サンフレッチェびんご監督時代は岡本知剛[2] や井林章など、広島ジュニアユース時代は茶島雄介・森保翔平・中山雄登・玉田道歩・岡崎和也や野津田岳人などを育てた。
2009年、東広島市にあるクラブチームNETZ8FCジュニアユース監督に就任、その後組織改編に伴いKELT FC代表兼ジュニアユース監督に就任した。
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個人成績
以下、2010年12月現在の記録である[3]。
- その他の公式戦
- 1991年
- コニカカップ 2試合0得点
- 初出場・初ゴール
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脚注
参考資料
関連項目
外部リンク
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