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島欽一
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島 欽一(しま きんいち、1877年(明治10年)10月28日 - 1941年(昭和16年)10月28日)は、日本の実業家、グラフィックデザイナー。日本初の図案社とされる島丹誠堂図案社の創業者[1]。
人物
三代続く画人の家系に生まれたが、本格的な美術を捨て広告図案という商業美術の分野に専念し、当時珍しかった「石埭流」の文字を扱い、戦前における多くの新聞広告や図案を考案した。
石埭流は書家・永坂石埭(1845年 - 1924年)の書体だが、欽一が使用した書体はそれに創意工夫を加えたものだった[2][3]。
欽一は、1934年にいすゞ自動車の初代社章(通称、さざなみマーク)を考案したことでも知られる。社章を考案した当初は自動車工業(いすゞ自動車の前身)の車の商標を制作したに過ぎなかったが、1949年にいすゞ自動車が設立された際に初代社章として採用された。
経歴
脚注
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