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川瀬敏文

日本のアニメ演出家、アニメ監督、脚本家 ウィキペディアから

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川瀬 敏文(かわせ としふみ、1958年12月8日[1] - )は、日本男性アニメーション演出家アニメーション監督脚本家

概要 かわせ としふみ 川瀬 敏文, 生年月日 ...

来歴・人物

要約
視点

元々、学生時代には実写映画での仕事を志望していたものの、折しも日本の映画産業が斜陽にさしかかりつつある頃であったため、先行きがどうなるかわからない実写にこだわって就職浪人するよりも、それと比して元気があったアニメ業界の方も覗いてみようという思いから、日本サンライズ(後のサンライズ)に入社するに至ったという[2]。後年のインタビューにて、川瀬はこの当時アニメもその業界のことも全く知らず、日本サンライズという会社についても全然わからない状態で入社したと振り返っており、そこからアニメのことを勉強し知るようになっていったとも語っている[2]

日本サンライズにおける最初の仕事は、1979年放送の『未来ロボ ダルタニアス』でのことで、同作品では制作進行を担当[2]。これは川瀬が日本サンライズに入社した当時、同社が制作を募集していたことによるものであるが、一方で入社当初から演出をやりたいという思いもあったため、ひとまず制作の仕事をこなしつつそこから演出に移れないかと機会を狙っていたという[2]。『ダルタニアス』以降も、制作進行として3年近くを過ごした後、1982年からは富野由悠季の元、『戦闘メカ ザブングル』の設定担当や『聖戦士ダンバイン』の設定制作といった、より監督に近しい立場の仕事を任されるようになった。念願かなって初演出を担当したのも『ダンバイン』でのことであり、同作品では当初5人いた演出に欠員が発生したため、設定制作をやりつつ演出を手がける格好となったという[2]。演出がメインとなったのは、同作品の後番組である『重戦機エルガイム』(1984年)からとなる。

1987年、OVA作品『DEAD HEAT』で監督デビュー[2]。監督をやりたいという思いも、やはり入社当初から目標としてあったとのことで、その旨をアピールしながらもなかなか声がかからずにいたところ、当時プロデューサーであった内田健二によって同作品の監督に抜擢される運びとなった[2]。同作品は、VHD規格でリリースされた特殊な作品ということもあり、お試し期間的にやらせてもらった感じと後に川瀬は振り返っており[2]、制作に当たってはまず機会のことを理解するところから始まり、その後も立体的な画作りや見せ場を考慮しなければならなかったりと、初監督作品としては様々に難しい部分もあったものの、仕事としては面白かったとも後に評している[2]

同じく内田がプロデューサーを務め、川瀬自身も全作品にて監督を務めた「エルドランシリーズ」(1991年 - 1994年)には、その企画の立ち上げ当初から携わる形となった[3]。自身としては初のテレビシリーズの監督作品となった同シリーズについては、同じような感覚で作るとなると3年が限度であると、またシリーズ第1弾の『絶対無敵ライジンオー』が成功した分、後続の2作品についてはそれとの差別化を図る中で、同作品ほどの爆発力や勢いが出せなかったと、様々な苦労があったことを明かしている[3]一方、同シリーズをやらせてもらったおかげで今でも演出をできているようなものとも語っており、後先考えても自分なりにパワーを込めた作品はないとして、自身が手掛けた作品の中でもナンバーワンではないかとの自覚もあると、後年のインタビューの中で振り返っている[3]

同シリーズの第3弾『熱血最強ゴウザウラー』(1993年)では、監督との兼任で脚本シリーズ構成も手がけているが、これは演出を手がける以前からシナリオもやってみたいという気持ちがあったことも関係していたという[3]。もっとも、監督をやりつつ脚本も執筆するのは、ことテレビシリーズにおいては大変であったといい、もう二度とやるものではないなと後に語っている。川瀬はこの時の脚本としての仕事ぶりについて、監督である以上自身だけでなく他のライターとの本読み(脚本打ち合わせ)をやらねばならないことに加え、コンテを描くつもりでシナリオを書いているところもあってやはりよくなかった[注 1]と、そして同時に監督がシリーズ構成や脚本をやることの欠点も理解した上でやらないと楽しめないとの学びがあったとも振り返っている[3]

ともあれ、同作品以降も『覇王大系リューナイト』(1994年)や『超者ライディーン』(1996年)などのサンライズ作品の監督を務める[3]一方、2000年代に入ってからは同社だけでなくスタジオディーンでの仕事、それに脚本やシリーズ構成としての参加の機会も多く見られる[1]。また、2013年時点でのインタビューでは、アニメーションよりも小説、とりわけミステリーやサスペンスの仕事をやりたいとの意思も明かしており、同時に自分の本質としては前出のエルドランシリーズのような子供向け作品よりも、『ひぐらしのなく頃に』(2006年)のような作品の方が近いとも語っている[4]

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参加作品

テレビアニメ

1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2012年
2013年
2014年
2015年
  • わしも WASIMO(2015年 - 2022年、第2期 - 第9期、監督シリーズ構成(第4期 - 第9期)
2017年
2020年
2021年
2023年
2024年
2025年

OVA

1987年
1989年
1992年
1993年
  • 絶対無敵ライジンオー みんなが地球防衛組(監督
2005年
2009年
2011年
2013年

劇場アニメ

その他

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脚注

関連項目

外部リンク

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