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差別戒名

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差別戒名(さべつかいみょう)あるいは差別法名[1]とは、かつて日本の仏教で行われた差別的慣習の一つ。被差別部落民に付けられた特殊な戒名法名をいう[2]

概要

被差別部落民の墓や位牌に記す戒名に、部落民だと分かるような特定の文字や形式を用いることがあった。以下に例を示す。

  • 道号・戒名に侮蔑的な漢字を用いる
  • 戒名に奇怪な異字や俗字を使うことは一般に避けるべきとされる(三選三除の法)[4]が、それらをあえて用いる
    • 」の俗字で縦棒が欠けた「𮧓」を用いる[5]
    • 」とすべきところに一画足して「」(かんぬき)とする[6]
    • 」の字のつくりの「単」の部分を「草」に置き換える[7]
    • 」を同音の「」に略す[5]
  • 一般には用いられない特殊な置字や位号を使用する
    • 「連寂」[8]「畜門(男)」「屠士(女)」「革門」「僕男(女)」「鞁男(女)」「非男(女)」[5]旃陀羅[3]など
    • 「玄田牛一」[9][10][11](縦書きして文字を詰めると「畜生」と読める)といった例もある

寺が管理する過去帳では、被差別部落民であることが分かるような書式で記載されていた。以下に例を示す。

  • 被差別部落民の戒名だけ一段下げて記載する[12](「一字下げ戒名」あるいは「一字おとし戒名」と呼ばれる[13]
  • 被差別部落民だけ巻末にまとめて記載する[12][13]
  • 被差別部落民だけ「穢多過去帳」「旃陀羅過去帳」「町離過去帳」などと題した別綴じの過去帳とする[12]
  • 個別の記載に「新平民元穢多」といった注釈をつける[13]

また、墓地そのものが地理的条件の悪い土地に設けられることもあった[14]

宗派は曹洞宗浄土宗をはじめとして多宗派に及び[15][16]、地域としては長野県埼玉県群馬県栃木県で多く発見されている[17]。時代としては江戸時代が多く、新しいところでは昭和20年代の事例が知られている[18]

戦後には、寺の敷地内に侵入して、ある人物の先祖の戒名を探し出し、その人物の祖先の出自を調べる差別事件が問題となった。墓石の戒名に特定の文字(上述した「畜」「革」など)が含まれていれば被差別部落出身であることが明らかになる、というものである。

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差別戒名の根拠とされた文書

差別戒名を強く推進する材料となったと考えられているのは、江戸時代以前から写本として広まっていた[19]貞観政要格式目』という偽書である[18][20][21]。この文書の「三家者位牌之事」という節では、「三家者」(被差別民)にふさわしい戒名として差別的な戒名の具体例を挙げている[22]。後発の文書『禅門小僧訓』(明和年間出版)も、この『貞観政要格式目』を根拠として差別戒名を肯定した[23]

上述の偽書『貞観政要格式目』は中国の『貞観政要』や日本の平安時代の『貞観格式』とは無関係で[24]、また題名に反して「式目」(公的な制定法)でもないが[25]、それらの由緒正しい文書と混同されることを意図した題名となっており[24]、後世の僧侶が内容を鵜呑みにしたのはこの題名が影響していると見られる[25]。この偽書を研究した牧英正によれば、成立年代は応永8年(1401年)から応永17年(1410年)の間で、著者はおそらく真言宗のあまり教養の高くない僧侶と考えられる[26]

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近年の仏教界の対応

近年では、差別戒名を付けられた故人に対する追善法要(故人の冥福を祈って行われる法要または読経)や、差別戒名の改名が行われている[27][28]

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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