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平岸村
日本の北海道札幌郡にあった村 ウィキペディアから
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平岸村(ひらぎしむら)は、かつて北海道石狩国札幌郡にあった村。現在の札幌市域の南側に含まれる。

1871年(明治4年)に入植が始まり、翌1872年(明治5年)開村。初期には麻畑村とも称した。村域は現在の札幌市豊平区平岸周辺ばかりでなく、豊平川の上流部、現在の南区定山渓一帯、まで含む広い領域だった[1][2][3]。
概要
1871年(明治4年)に始まる平岸地域への入植のため平岸街道(現在の平岸通)、平岸用水などが開削された[1]。1879年(明治12年)にはお雇い外国人のエドウィン・ダンの提案で真駒内用水も開かれた。入植者たちは当初、村の主産業として麻の栽培を進めており「麻畑村(あさはたむら)」とも称された[注 1]。平岸村は国内で初めてヨーロッパ種のリンゴが実った地ともいわれ、リンゴ栽培が広がった[12]。1884年(明治17年)頃までには海外にも輸出される「平岸リンゴ」の産地として知られていた[1]。
寺社
村内の神社は『新札幌市史』によると、創建の古い順に、中の島神社(1877年頃創建)、花岡神社(1882年)、石山神社(1885年)、のちに相馬神社へと発展する札幌神社遙拝所(1895年)[注 2]があった。
領域
沿革
- 1866年(慶応4年) - 美泉定山が、定山渓温泉を確認し、湯治場を設ける。
- 1871年(明治4年) - 岩手県人ら202人62戸[注 3]が、平岸村の領域に、入植する[1]。
- 1872年(明治5年) - 平岸村が開村となる。簾舞に簾舞通行屋が置かれる。
- 1876年(明治9年) - エドウィン・ダンが、平岸村真駒内に、種畜場(真駒内牧牛場、1886年(明治19年)に北海道庁所管の真駒内種畜場となる)を設ける[19][20]。
- 1879年(明治12年) - エドウィン・ダンの提案により真駒内用水が完成[21]。
- 1884年(明治17年) - 簾舞にのちの札幌農学校第4農場が開かれる[注 4]。
- 1890年(明治23年)4月1日 - 平岸小学校、開校(1899年(明治32年)、尋常小学校認可)[24]。
- 1902年(明治35年)4月1日 - 月寒村(つきさっぷむら)と共に、豊平村と合併し、 北海道二級町村制による豊平村(のちの豊平町)の領域となる。
文献案内
代表的な郷土史誌として入植・開村110周年を記念した『平岸百拾年』(1981年)がある[25]。同書の編集責任者を務めた平岸出身の作家澤田誠一はのちに、父祖三代にわたって平岸を描く小説『平岸村』(2005年)も上梓している[26]。また、『道新りんご新聞』の連載記事「平岸の歴史を訪ねて」の一部がWEBサイト「道新りんごステーション」で公開されている[注 5]。関連文献欄も参照。
脚注
参考文献
関連文献
関連項目
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