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平田箴

明治から大正期の弁護士、政治家 ウィキペディアから

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平田 箴(ひらた ただし、1855年12月17日安政2年11月9日[1])- 1925年大正14年)8月15日[2][3])は、明治から大正期の弁護士政治家衆議院議員、岩手県会議長。

経歴

陸奥国磐井郡、のちの岩手県[2]西磐井郡一関町[3](現一関市)で、一関藩士の家に生まれた[4]藩校教成館で文武の課程を修めた[4]

警察官を志願し[4]、盛岡警察署(現盛岡東警察署)詰巡査となる[4]。その後退職して自由党に加わり[4]、代言人(弁護士)の業務に従事[2][3][4]。その清潔公平な働きで信頼を得て[4]、村会議員、一関町会議員に選出された[2][3][4]。その後、岩手県会議員となり、同副議長、同議長を務めた[2][3]。その他、所得税調査委員、郡徴兵参事員、破産管財人なども務めた[2][3]

1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(岩手県第5区、自由党)で初当選し[5]第4回総選挙でも再選され[6]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3]

国政選挙歴

脚注

参考文献

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