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広福寺 (土岐市)
岐阜県土岐市にある臨済宗妙心寺派の寺院 ウィキペディアから
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廣福寺(こうふくじ)は岐阜県土岐市土岐津町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は寿門山。中部四十九薬師霊場三十二番。
歴史
寛永2年(1625年)に三河国挙母村の雲外霄公が有志を募り、崇禅寺中興の清巌宗源に開山を請い、領主の妻木頼利に願い出て許され、土岐口の大沢に堂宇を建立し慈門山 廣徳寺として開山し、崇禅寺二世の見龍宗潭が住持となり7石2斗の寺領を付与された。
寛永4年(1627年)、廣徳寺三世の光益長公が寿陽山 保福院を開山した。
承応2年(1653年)10月1日(11月20日)、妻木頼利は江戸で病死し、法号を「廣徳院殿即心安休大居士」とした。
万治2年(1659年)、妻木氏が無嗣のため大幅減禄となり寺領を失った。
寛文9年(1669年)2月、廣徳寺が、土岐口の大沢から辛沢へ移転した。
元禄8年(1695年)9月、廣徳寺は、土岐郡三十三所巡礼の十五番札所となった。
明治24年(1891年)、岐阜県庁の許可を得て、廣徳寺と保福院が合併し、寿門山 廣福寺に改号した。
明治34年(1901年)1月4日、旧廣徳寺の本堂と庫裏が火災で焼失した。
明楽川を挟んだ高山地区に住んでいた吉田鎗吉は、炎上している廣福寺の中へ飛び込み、本尊を厨子ごと担ぎ出して救った。以後人々は彼を「観音の鎗さ」と呼んだと伝わる。
当地は、年々水害を蒙り、すこぶる偏隅で信徒の参詣や布教にも不便を感じていたため、薬師堂のある現在地に移転することに決まり、薬師堂を境内仏堂として合併することを願い出た。
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境内
台地の境内は、段丘に鐘楼門を構えている。造りは一間一戸の四脚門で楼上に梵鐘が吊るされている。
この横に延命地蔵尊が祀られており、その他としては、位牌堂・成田堂・土蔵がある。
参考文献
- 『中部四十九薬師霊場巡礼』 p154~p157 中部四十九薬師霊場会 冨永航平 朱鷺書房 1999年
- 『土岐市史 2 (江戸時代~幕末)』 第十五編 江戸時代の宗教 第四章 徳川幕府の神道政策 10 神社・寺院調 p374~p386 土岐市史編纂委員会 1971年
- 『土岐津町史』
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