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弓削大成

奈良時代後期の貴族 ウィキペディアから

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弓削 大成(ゆげ の おおなり、生没年不詳)は、奈良時代後期の貴族宿禰官位従五位上西市正

経歴

画師の弓削大成という人物が、天平勝宝4年(752年)閏3月の東大寺の充厨子彩色帳に、「第一厨子、花厳宗、充弓削大成」とあり、抹消されている[1]。以下の弓削大成と同一人物ではないか、とも言われている。

称徳朝天平神護3年(767年)、神護景雲改元直前の叙位で建部人上の後任[2]因幡掾に就任。その後、神護景雲3年(769年)、天皇の西大寺行幸にともなう叙位で従五位上に昇叙、同年の任官で、信濃員外介に任命される。同僚の信濃介は前年に任命された学者の濃宜水通

それからしばらく記録には登場しないが、道鏡失脚後も政界で生き延びることができたらしく、延暦4年(785年)、従五位上のまま、西市正となる。

官歴

続日本紀』による。

脚注

参考文献

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