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御節料理
節会や節句に作られる料理 ウィキペディアから
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御節料理(おせちりょうり)は、節会や節句に作られる料理[1][2]。節日のうち最も重要なのが正月であることから、正月料理(しょうがつりょうり)を指すようになった[3]。単におせちという。

歴史


由来
歳神様に捧げる供物としての料理が「おせち」。「節目の日のための供物」という意味から「御節供(おせちく、おせつく)」と呼ばれたのが語源[4]。
「おせち」は「御節供(おせちく、おせつく)」や「節会(せちえ)」の略であり[1][5][6]、中国から伝わった五節供の行事に由来する[7]。原型は弥生時代にできていたが、奈良時代には朝廷内で節会(せちえ)として行われ、そこで供される供御を節供(せちく)と言った。現在のような料理ではなく、高盛りになったご飯などであったとされる[8]。
この五節会の儀を、一般庶民がならって御節供を行うようになったものと考えられている[9][注釈 1]。元々は五節句の祝儀料理全てを言ったが、後に最も重要とされる人日の節句の正月料理を指すようになった[6]。正月料理は江戸時代の武家作法が中心となって形作られたといわれている[10]。
江戸時代、関西では「蓬萊飾り」、江戸では「食積(くいつみ)」、九州の佐賀・長崎などでは「蓬萊台・手懸け盛り」[11]と称し、歳神様に三方などでめでたい食べ物などを床の間に飾り、また年始の挨拶に訪れた客にも振る舞ったり、家族も食べたりした。
重詰めへの移行
『嗚呼傍廂』(1853年)によれば天明の頃までは食べていたが、それ以降は飾るだけとなり、正月料理は重詰め等へと変化していく。膳に盛られた料理と重に詰められた料理が用意され、このうち膳に盛られた料理を「おせち」と呼んだ[12]。後の『東京風俗志』(明治34年)によるとお膳に供えた煮物を「御節」、重詰めしたものを「食積」と呼んでいる[注釈 2]。
重箱に本膳料理であった煮染めを中心とした料理が詰められるようになり、食積と御節の融合が進んだ。現在では重箱に詰めた正月料理を御節と呼ぶようになっている[13]。重箱に御節料理を詰めるようになったのは明治時代以降のことといわれている[12]。
重箱に御節を詰める手法が完全に確立した時期は第二次世界大戦後で、デパートなどが見栄えのよい重箱入りの御節料理を発売したことによるともいわれている[14]。正月料理の重詰めについては江戸時代の文化・文政年間の料理茶屋における料理の影響を受けているとみる説もある[10]。
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構成
要約
視点
御節料理の基本は、祝い肴三種(三つ肴、口取り)、煮しめ、酢の物、焼き物であるが、地方により構成は異なる。口取りは、かまぼこ、栗金団、伊達巻など。三つ肴の内容は関東では黒豆、数の子、ごまめ(田作り)の3種[12][15]、関西では黒豆、数の子、たたきごぼうの3種である[12][15][16]。
一つ一つの料理は、火を通したり干したり、あるいは酢に漬けたり、味を濃くしたりするなど、日持ちする物が多い。これは歳神を迎えて共に食事を行う正月の火を聖なるものとして捉え、神と共食する雑煮をつくるほかは、火を使う煮炊きをできるだけ避けるべき、という風習に基づく[10][17]。あるいは、家事から女性を解放するためという要素があるとみる説もある[9]。
関西には「睨み鯛」といって、正月三が日の間は箸をつけない尾頭つきの鯛を焼いたものを重箱に詰める風習がある[17]。
現在の日本では食文化が多様化し、食品の保存技術も進んだため、生ものや珍味のほか、中華料理、西洋料理など多種多様な料理を重箱に詰めて供することも多い。マリネなどのオードブル、ローストビーフや牛肉の八幡巻などの肉料理、寿司などが入ることもある[18] [19][20]。
御節料理は家庭で作る以外に、店頭渡しまたは宅配サービスを前提とした予約制で、食料品店、百貨店、料亭、インターネット上の店舗などで販売され、買い求める人々も増えている[21]。受け付けは9月頃から始まり、ほとんどは年末に受け渡されるが、年末年始の旅行から帰宅後に食べられるように、1月2日から1月中旬にかけての配達に対応する百貨店もある[22]。
御節料理として組み合わせる料理の単品販売、一人で食べる「お一人様おせち」、パフェ風おせち、さらにはペットとして飼われている犬向けなど多様化が進んでいる[23]。
2013年から毎年12月31日に、無償で譲り受けた食品を生活困窮者に届けている認定NPO法人「セカンドハーベスト名古屋」が、食品メーカーから提供された食品ロスで廃棄予定の御節料理を、ホームレス支援団体や福祉団体など13団体に配っている[24]。食品メーカーは製造した御節料理を12月30日までにスーパーなどへ卸すため、12月31日には余った料理のほとんどが廃棄される。メーカーは発注より多めに作り、品質に問題ないのに廃棄される食材が出る[25]。
組重
御節料理を詰めるのには組重(組になった重箱)を用いる。重箱に詰める意味は、めでたさを「重ねる」という意味で縁起をかついだものである。
重箱は外を黒塗り、内を朱塗りとしたものが正式とされる[9][6]。
組重については、本来は五段重であったともいわれ[10]、この五段重を正式としている説[36]もある。ただ、最近では四段重が普通となっており[10]、この四段重を正式なものとしている説[9][12][37]もある。
四段重は春夏秋冬を表すといわれ[9][6]、また、完全を表す「三」にさらに一つ重ねる意であるともいわれる[12]。
一方、五段重における五の重は土用を表すといわれる[9]。ただ、五の重の内容については諸説あり、五段重を用いる場合、来年こそは重箱を一杯にできますようにという意味で五の重には実際には詰めることはしないとするもの[38]、年神様から授かる福を詰める場所として実際には何も詰めないとするもの[39][40]、なますや酢の物を詰める重であるとするもの[10]、「控えの重」として多めに御節料理を詰めたりあるいは家族の好物を詰めるために用いられる重であるとするもの[40][41]などがある。
なお、組重の四段目については四(し)が「死」を連想させ、不吉で縁起が悪いことから「与の重(よのじゅう)」と呼ばれている[12][37](四の字も参照)。
三段重や二段重といった略式のものも多くなっている[41]。
重詰め
重詰めの形式には、市松、七宝、八方、段取、升詰、隅取といった形式がある[9][15]。一つの重の品数は奇数とする[15]。
関東では隙間なく詰められるのに対して、関西では裏白などを飾りつけながらふんわりと散らしながら詰められていたが[10]、後にその限りではなく、販売している関西風・京風お節も隙間なくキッチリと詰めて販売しているのがほとんどとなった[42][43]。
三段重の一般的な構成については次の通り。
四段重の一般的な構成については次の通り。
- 一の重には祝い肴のうち三つ肴と口取り[12][9][6][29]。
- 二の重には焼き物[12][9][6][29][44][46]。
- 三の重には煮物[41][6][29][46]もしくは酢の物[12][44]。
- 与の重には酢の物[41][6][29]もしくは煮しめ[12][44]。
五段重の一般的な構成については次の通り。
- 一の重には祝い肴[36][10][39]。
- 二の重には口取り[36][10]。
- 三の重には鉢肴[36]あるいは海川の幸[36]または焼き物[10][39]。
- 与の重には煮しめ(山の幸の煮物)[36][10][39]。
- 五の重(五段重とする場合の五の重については先述のように説が分かれる)
なお、黒豆・田作り・数の子の祝い肴については一の重に入れられるほか別の入れ物に盛り付けられることもある[29]。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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