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徳川治興
江戸時代中期の尾張藩の世嗣。従三位・左近衛権中将。徳川宗睦の次男 ウィキペディアから
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徳川 治興(とくがわ はるおき)は、江戸時代中期の尾張藩の世嗣。官位は従三位・左近衛権中将。
生涯
9代藩主・徳川宗睦の次男として誕生。幼名は慶之助。元服後、父・宗睦より1字を受けて睦篤(ちかあつ/よしあつ)と名乗った。
安永元年(1772年)、10代将軍・徳川家治に拝謁し、従四位下・左近衛権少将・兵部大輔に叙任する。翌安永2年(1773年)、兄・治休が早世したため嫡子となり、家治の偏諱を受けて治興に改名し、従三位・左近衛権中将に叙任する。
安永5年(1776年)には鷹司輔平の娘・房君と婚約した。しかし治興も兄同様、当時の流行病にかかって早世した。享年21。代わって、支藩美濃高須藩の藩主で治興の従弟にあたる松平義柄(徳川治行と改名)が養子に迎えられ、嫡子となった。
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