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徳川泰子
日本の元華族 ウィキペディアから
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徳川 泰子(とくがわ ひろこ[1])は、貴族院議長・徳川家達夫人。
生涯
慶応3年(1867年)9月24日、近衛忠房の長女として生まれた[2][1]。母は光子(島津斉彬の養女、島津久長の娘)[3]。
幼少の折、丈夫に育つようにと農家に里子に出された。[4]
徳川宗家16代目を継承した家達と婚約し、千駄ヶ谷の徳川邸で義伯母(父系では従伯母)にあたる天璋院の訓育を受けた。1882年(明治15年)、成婚。1883年(明治16年)に徳川家に輿入れした[4]。1884年(明治17年)、嫡男・家正を産み、他に綏子ら三女を儲けた[1]。
日本赤十字社篤志看護婦人会会長(1936年(昭和11年)1月31日 - 1944年(昭和19年)3月13日)[5]、撫子会会長、愛国婦人会理事を務めた[2]。日露戦争後、勲四等宝冠章を受章した[2]。
子女
(出典:『現代華族譜要』[1])
登場作品
テレビドラマ
脚注
参考文献
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