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恒松安夫
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恒松 安夫(つねまつ やすお、1899年(明治32年)3月18日[1] - 1963年(昭和38年)5月20日[1])は、日本の政治家・歴史学者。島根県知事(2期)、大田市名誉市民[2]。政治家・恒松隆慶の孫。
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経歴
島根県安濃郡長久村(現大田市長久町)で、恒松嘉吉・ケン夫妻の二男として生まれる[1][2]。杵築中学校(現島根県立大社高等学校)在学中は剣道に励んだ[2]。1922年、慶應義塾大学文学部史学科を卒業[1][2]。1923年、慶應義塾大学普通部講師に就任[2]。岡本かの子と関係を持ち、1929年欧米に遊学後、1932年、慶應義塾大学教授に就任[1][2]。1933年、慶應義塾大学野球部長・東京六大学野球連盟理事長となる[1][2]。1944年、慶應義塾大学を退職して帰郷し、文化活動を行う[1][2]。
1947年4月、戦後初の島根県議会議員選挙に立候補して当選し、島根県議会議長に就任(1951年まで)[1][2]。1951年 島根県知事に当選し2期在任した(1959年まで)[1][2]。知事退任後に体調を崩して政界を引退した[1]。
栄典
著作
- 著書
- 『近代西洋史』三笠書房、1941年。
- 『アメリカ史総説』三笠書房、1941年。
- 翻訳
- 『米国近世政治経済史』シー・エー・ビャード著、磯部甲陽堂、1925年。
脚注
参考文献
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