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惟宗公方

平安時代中期の貴族。正五位下・明法博士。子に惟宗公平、惟宗致方 ウィキペディアから

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惟宗 公方(これむね の きんかた、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族官位正五位下・明法博士。

経歴

右衛門権少志を経て、醍醐朝の後期の延長4年(926年)以前に明法博士に任ぜられる。以降、醍醐・朱雀村上冷泉の四朝30年以上に亘って明法博士を務める。この間、主計助大判事勘解由次官民部少輔左衛門権佐などを兼帯した。

村上朝の天徳2年(958年天皇奏上した勘文に失錯ありとされ、左衛門権佐兼明法博士から大蔵権大輔左遷される[1]。しかし、天徳4年(960年)頃には明法博士に復帰した。最終官位は明法博士正五位下

著作に『本朝月令』がある。

官歴

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脚注

参考文献

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