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戸畑市
日本の福岡県にあった市 ウィキペディアから
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戸畑市(とばたし)は、福岡県北東部にかつてあった市。市域の北は響灘、北から西を洞海湾に囲まれた一部が岬状の地形で、八幡製鐵の主力工場・戸畑製造所などが操業する工業都市であった。1963年(昭和38年)2月10日に小倉市・門司市・若松市・八幡市と合併して北九州市となり消滅した[1]。
北九州市が1964年(昭和38年)4月1日に政令指定都市に昇格した際、旧戸畑市域は行政区の一つである戸畑区となり、大字中原の一部が小倉区(現:小倉北区)に組み入れられた[1]。
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歴史
地名の由来は、岬門の端にあるので「門端」の意味。奈良時代には「飛幡浦」あるいは「鳥旗」と記されている。室町時代、筑前国御牧(みまき)郡麻生庄に「戸幡」とあり、「戸端」「都波多」「鳥羽田村」とも記された。江戸時代には福岡藩に属し、「戸畑村」と称し漁業と農業が産業であった[2]。幕末に福岡藩が砲台を築いたが慶応3年(1867年)に取り壊された[3]。
1871年、廃藩置県によって福岡県に属した。農業、漁業が営まれていたが、明治20年(1887年)代から石炭関連のコークス工場などが建てられるようになり工業化が進められた。大正末期から埋立、区画整理が進められ、工場用地が拡張された。
1949年(昭和24年)5月19日、市内に昭和天皇の戦後巡幸。市役所が昼食会場に、浅生グラウンドが市民奉迎場となった。天皇は日本水産戸畑支社を視察後、同社前の桟橋からお召船で若松市に向かった[4]。
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沿革
市域の変遷
※北九州市となるまで市域の変更はなかった。
人口の変遷
- 1925年 37,748
- 1930年 51,674
- 1935年 67,800
- 1940年 84,260
- 1945年 56,585
- 1947年 68,083
- 1950年 87,885
- 1955年 97,214
- 1960年 108,708
行政
歴代市長
国の機関
主な医療機関
- 市立戸畑病院[7]
脚注
参考文献
関連項目
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