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手代森遺跡
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概要
北上川と大沢川の合流地点から400メートルほど離れた、北上川東岸の平野と北上山地に続く丘陵の間の段丘上、標高115メートル前後の場所にある遺跡で、大沢川の河川改修に伴い、1983年(昭和58年)度に試掘調査が、翌1984年(昭和59年)度に2600平方メートルの本調査が行われた結果、縄文時代前期(約6500~5000年前)と晩期(約3000~2300年前)の遺跡であることが判明した。
竪穴建物跡、建物状遺構、長方形柱穴列、土坑、焼土遺構・石囲炉、埋設土器などの遺構が発掘され、建物などがなくなったあとは土器などの捨て場に利用されていたことや、時期により少しずつ場所を移動しながら縄文時代晩期の全般にわたり集落が営まれていたことがわかった[1]。
出土品
遮光器土偶(重要文化財)
文化庁蔵、岩手県立博物館保管、京都文化博物館特別展示時に撮影。所在地
- 〒020-0401 岩手県盛岡市手代森
アクセス
脚注
関連項目
外部リンク
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