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文室海田麻呂

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文室 海田麻呂(ふんや の うみたまろ)は、平安時代初期の貴族備前守三諸大原の五男。官位従五位上石見守

概要 凡例文室海田麻呂, 時代 ...

経歴

弘仁年間に校書殿として出仕を始め、嵯峨朝では常陸大掾主水正を歴任する。淳和朝では左馬大允民部大丞と京官を歴任するが[1]天長8年(831年)に従五位下紀伊守に叙任され地方官に転じる。

仁明朝でも伊予介と引き続き地方官を務めたのち、承和12年(845年弾正少弼に任ぜられ京官に復し、翌承和13年(846年)従五位上に叙されている。嘉祥2年(849年石見守と仁明朝末に再び地方官に遷った。

文徳朝末の天安2年(858年)正月24日卒去享年69。最終官位散位従五位上。

官歴

六国史』による。

脚注

参考文献

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