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安東金氏
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安東金氏(アンドンキムし、あんとうきんし、朝鮮語: 안동김씨)は、朝鮮の氏族の一つ。本貫を安東とする。新羅王族の金叔承(김숙승)を始祖とする家系(旧安東金氏または先安東金氏)と、高麗建国の功臣である金宣平(김선평)を始祖とする家系(新安東金氏または後安東金氏)がある[1]。李氏朝鮮後期に勢威を振るった安東金氏は後者にあたる。
2015年の調査によると、人口数は合わせて519,719人である[2]。
旧安東金氏
新羅の敬順王の第4王子・大安君金殷説の子・金叔承を始祖とする。金叔承は高麗に仕えた。この家系からは高麗の将軍・金方慶が出ている。独立運動家の金九もこの家系に属するという。
行列字
人口分布
2015年統計によると、多くの自治体の総人口に占める比例が1%前後であるが、慶尚北道北部と忠清北道北部など他の地域より割合が高い地域もある。全国で総人口に占める比例が最も高い地域は貫郷の慶尚北道安東市(11,379人、総人口の7.12%)である[4]。
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新安東金氏
始祖・金宣平は、新羅末期の古昌郡(安東)の有力者であった。新羅末期の後三国時代の争いに際して王建(高麗の太祖)に味方し、後百済の甄萱との瓶山の戦いで功績を挙げた。高麗建国後、開国功臣とされた。
李氏朝鮮後期、金祖淳の娘が純祖の后純元王后となった。純祖の摂政を務めていた貞純王后の死去以降、安東金氏は憲宗・哲宗に王妃を送り、およそ60年間にわたり外戚として勢威を振るった(勢道政治)。朝鮮末期の政治家である金玉均もその一族である。
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集姓村
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脚注
関連項目
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