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新潟交通モハ10形電車
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新潟交通モハ10形電車(にいがたこうつうモハ10がたでんしゃ)は、かつて新潟交通電車線で1999年の廃線まで使用されていた新潟交通の通勤形電車。1960年代に車体の近代化のために在来車の機器を流用して製造された、いわゆる「日車標準車体」の一つとして知られる。
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本稿では同形車であるモハ18形電車、モハ19形電車、モハ20形電車、モハ24形電車についても記述する。
概要
電車線で使用されていた車両を大型化・近代化するため、モハ11形・モハ17形などの機器と日本車輌製造製の新造車体を組み合わせて、1960年から1969年の間にモハ10形11・12・14(2代)、モハ18形18(2代)、モハ19形19、モハ20形21、モハ24形24・25の8両が製造された。車番と登場順序の間に関連性はない。
車体は細部が個体によって異なるが、いずれも屋上の白山前駅・東関屋駅寄りにパンタグラフを装備し、側面の窓配置d2D6D2d(dは乗務員室扉、Dは客用扉、数字は扉の間の窓の数を表す)の両運転台、側面片開き2扉、 側窓は上段固定・下段上昇式で上段がHゴムで固定されたいわゆる「バス窓」の17m級の車両である。これは日車標準車体の特徴となっており、岳南鉄道や松本電気鉄道に納入されたものも同様だが、前記2社のものは前面が3枚窓の貫通型、旅客用ステップレスであるのに対し、新潟交通のものは前面が2枚窓の非貫通型、旅客用ステップ付となっている点が異なる。
- モハ10形14
- モハ19形
- モハ19形
- モハ24形
モハ10形
1933年に電車線の前身である新潟電鉄が開業した時に新造したモハ11形11・12・14(初代)の改造名義で、更新時期は11が1966年12月、12が1968年12月、14が1963年12月。なお、14は床が木製であった。
モハ18形
宮城電気鉄道の買収国電クハ6300を1956年に譲受したクハ38の改造名義で、1962年12月に手持ちの機器を流用して更新するとともに電装化されている。床は木製。
モハ19形
東武鉄道からデハ6を1948年に譲受したモハ19(初代)の改造名義で、1960年10月に更新された。本項各形式の中で最初の更新車である。床は木製。
モハ20形
モハ11形13の改造名義で、更新時期は1967年12月。
モハ24形
24は東武鉄道からデハ7を1947年に譲受したモハ17の改造名義、25は1935年に製造されたモハ11形15の機器流用だが新造名義で、いずれも1969年12月製。本項各形式の中で最後に登場した。
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変遷
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8両が揃った1969年(昭和44年)以降、モハ2220形が入線する1985年(昭和60年)までの間、電車線ではモハ16以外の電動車は本項の5形式8両のみであり、同線の主力となった。1981年(昭和56年)に列車無線の取り付け、翌1982年(昭和57年)にワンマン運転対応改造がされた。単行、またはクハ45形などの制御車を連結しての2両編成で使用されていたが、輸送量が減少した晩年、特に1993年(平成5年)の月潟駅 - 燕駅間廃線以降は制御車がクハ46の1両のみとなっていたため、単行運転の機会が多くなり、2両編成時は本項各形式相互間の連結が多くなった(なお、この場合は2両のうち1両は付随車扱いとなる)。
1998年(平成10年)6月に検査期限切れで休車となった14を除いて翌1999年(平成11年)4月4日の東関屋駅 - 月潟間最終営業日まで使用され、翌4月5日の電車線全線廃止に伴い全車廃車となった。なお、11が同日東関屋駅から月潟駅へ自走で回送され、そのまま同地でキ116・モワ51とともに静態保存されている。
他の7両は東関屋駅跡に留置されていたが、腐食が進みその後2003年(平成15年)3月に同駅に留置されていた車両とともに解体された。
旧月形駅舎と静態保存された車両は、ボランティア団体のかぼちゃ電車保存会が管理してきた。2022年(令和4年)10月には、車両移動機でモハ11を牽引させ、廃線後23年ぶりに乗客を乗せて走るイベントを実施。人気のイベントになったが、同時に車両の老朽化が明らかになった。2025年(令和7年)、旧月潟駅に静態保存されていたモハ11がモワ51、キ116とともに修復された[1]。
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脚注
関連項目
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