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新納忠清
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新納 忠清(にいろ ただきよ)は、江戸時代前期の武将。薩摩藩士。
略歴
父・忠増の兄・忠堯が天正11年(1583年)に30歳で討ち死にし、その嫡子・忠光も慶長8年(1603年)に早世したため、忠光の娘婿としてその家督を継いだ。
寛永の始め頃に高奉行並びに、本城[1]の地頭に任じられた。また寛永5年(1628年)には、祖父・新納忠元も地頭を務めていた大口[2]地頭に任じられ、27年間務め上げる。寛永14年(1637年)の島原の乱には大口勢を率いて出陣、2月28日の決戦の際は原城内に乗り込み軍功を上げた。
脚注
出典
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