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日本とブルネイの関係

日本とブルネイの二国間関係 ウィキペディアから

日本とブルネイの関係
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日本とブルネイの関係(にほんとブルネイのかんけい、英語: Brunei–Japan relationsマレー語: Hubungan Brunei - Jepun)は、1984年国交樹立を締結した日本国ブルネイ・ダルサラーム国との関係である。

概要 ブルネイ, 日本 ...

両国概要

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歴史

日本とブルネイの関係は、エネルギーの貿易を主体とし、ブルネイが英国領だったころから始まった。

第二次世界大戦

第二次世界大戦が始まり、ブルネイを支配していたイギリスを日本軍が排除した結果、 1942年から1945年の終戦まで日本が戦時統治していた。

詳細は『ブルネイの歴史#日本の統治

終戦後

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在ブルネイ日本国大使館

日本はブルネイから1969年に石油の輸入を、1972年に天然ガスの輸入を開始した。 1983年5月、日本の総理大臣として初めて中曽根康弘がブルネイを訪問し、日・ブルネイ友好議員連盟が結成され、翌6月、ブルネイに日本政府による事務所が開設された。 1984年1月にイギリスより内政を回復し、独立したブルネイは、その年の4月、日本と国交を結び、ハサナル・ボルキア国王が国賓として日本に招待された。同年6月にバンダルスリブガワンに日本国大使館が設置され、9月に東京にて、日・ブルネイ友好協会が結成され、1998年には、ブルネイに、ブルネイ・日友好協会が設立された。 1989年昭和天皇崩御の際には、ハサナル・ボルキア国王は大喪の礼に参列し、1990年上皇明仁即位礼正殿の儀にも、参列した。1996年、皇太子夫妻が初めてブルネイを訪れた。2011年東日本大震災の際には、日本は、ブルネイ政府から100万米ドルの寄付や、民間から多数の支援を受けた[3]2019年天皇徳仁の即位礼正殿の儀にはハサナル・ボルキア国王とアブドゥル・マティーン王子が参列した。

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政治

2010年12月、ブルネイ内務省は、一村一品運動に関する専門家の派遣を日本に要請し、大分県県職員による現地での指導や講義などを受けた[6]

軍事

軍事においてブルネイは、従来よりASEAN諸国との連携を重視し、2008年から各国の防衛省階級相当の閣僚会合であるASEAN国防相会議(ADMM、ASEAN Defence Minister's Meeting)に参加してきた。一方で、日本は、2010年ベトナムでの第一回ADMMプラスに、2014年ブルネイでの第二回ADMMプラスに参加し、ASEAN諸国を通じてブルネイとの軍事協力の関係を結んだ[7]

皇室と王室の関係

日本の皇室とブルネイの王室の関係は、現在まで良好な関係を築いてきた。1984年のブルネイ独立後、ボルキア国王は国賓として日本を訪れ、昭和天皇との晩餐会に出席した。国王は、前述の大喪の礼や即位の礼での参加だけではなく、2003年の日・ASEAN特別首脳会議、2007年の日・ブルネイ経済連携協定署名式典、2010年の横浜APEC首脳会議、2013年首脳会談や日・ASEAN特別首脳会議の際に、明仁天皇(当時。令和時代の上皇)と会談や茶会などを行うなどして、関係を深めている。なおかつ、多くのブルネイ王室の王族たちも何度も日本に訪れている。[2][3]

経済

経済の分野において、日本とブルネイは、エネルギーをもとに関係を構築してきた。日本は、1972年にブルネイからの天然ガスの輸入を開始して以来、2013年現在、年間約500万トンもの天然ガスを輸入している。これは、日本の全天然ガス消費量の約6%にあたり、ブルネイの輸出する天然ガスの約85%あたる。一方で、日本からブルネイへの主要輸出品目は、車両や車両部品となっている。 また、資源以外の経済関係の強化のため、2007年6月、日・ブルネイ経済連携協定(EPA)[8] を署名し、2008年7月に発効した。2009年12月には、両国間の経済的交流、人的交流等に伴って発生する国際的二重課税の回避を目的とした、日・ブルネイ租税協定を発効した[2]。 日本からブルネイへのODAは、技術協力を中心に実施されていたが、1996年1月にブルネイがODA卒業国となったため、1998年度のODAを最後に終了した。この技術協力には39.28億円が投入され、内訳は、研修員受入1,134人、調査団派遣114件、プロジェクト技協2件、開発調査5件などとなっている。

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文化

2001年からブルネイ大学にて日本語講座が開設され[9]、2014年には第28回日本語弁論大会が開催された[10]。2008年より日本語能力試験がバンダルスリブガワンで年に1回のペースで行われており[9]、2013年度の受験者総数は、56人だった[11]

外交使節

在ブルネイ日本大使

駐日ブルネイ大使館

駐日ブルネイ大使

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脚注

関連項目

外部リンク

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