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日本パデレフスキ協会

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日本パデレフスキ協会
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日本パデレフスキ協会[1](にほんパデレフスキきょうかい、英語: Japan Paderewski Associationポーランド語: Stowarzyszenie Muzyczne im. Ignacego Jana Paderewskiego w Japonii[2])は、ポーランドピアニスト作曲家にして首相でもあったイグナツィ・ヤン・パデレフスキを紹介し、日本とポーランドの関係を深める場を提供するため2016年に設立された日本の組織[3]

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 政界を引退して音楽活動に専念していた70代半ばのパデレフスキ(1937年)。
 1939年に祖国ポーランドがナチスドイツに奪われ、パデレフスキは祖国解放のために立ち上がったが、祖国解放を見届けることは叶わず、1941年に亡命先のニューヨークにて80歳で客死した。

沿革

2016年4月、ポーランドビドゴシチ市にあるI・J・パデレフスキ名称ビドゴシチ音楽協会ポーランド語版(通称: パデレフスキ協会)のヘンリク・マルテンカ理事長の依頼を受け、ピアニストの中村紘子が中心となって発足した組織。20世紀ポーランドを代表するピアニスト作曲家であると同時に政治家としても活動し、1918年に独立を回復したポーランド共和国の首相ともなったイグナツィ・ヤン・パデレフスキの人物像と作品を広く紹介するとともに、日本・ポーランド両国の友好関係をさらに深めるための交流サロンとしての役割を果たすことを目的としている[3]

2016年4月4日、ヤマハ銀座店にて同協会の細田博之会長(自民党衆議院議員)、中村紘子副会長、劉優華事務局長(ナクソス・ジャパン所属)が列席する記者会見が開かれて、設立に当たっての目的や活動内容などが発表された[4]。同年5月には、兵庫県洲本市洲本市文化体育館で同地で8度目となる中村のコンサートが行われたが、これが中村による最後のピアノ演奏となった[5]。同年7月26日、中村が逝去[6]

2017年1月、日本パデレフスキ協会の洲本支部が発足[6]。同年3月8日、駐日ポーランド大使館にて日本パデレフスキ協会の記者会見が開かれて、会見の冒頭でピョトル・ショスタック駐日ポーランド臨時代理大使が挨拶を行いパデレフスキの祖国解放への貢献や政治家としての功績を強調した。また、新たに会長に就任したピアニストの横山幸雄が挨拶をして中村没後の体制や活動について発表を行い、同協会総裁となった細田からは政治家・愛国者としてのパデレフスキを語るスピーチがあった[7]

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役員

脚注

関連項目

外部リンク

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