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日置村 (鳥取県)
日本の鳥取県気高郡にあった村 ウィキペディアから
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日置村(ひおきそん)は、鳥取県気高郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは気多郡に属した。
概要
現在の鳥取市青谷町山根・青谷町早牛(はやうじ)・青谷町河原(かわら)・青谷町小畑(おばた)に相当する。日置川の上・中流域に位置した。
合併の経緯
1952年(昭和27年)3月に県知事から「町村規模の合理化に関する諮問」が出された。これに対して気高郡町村合併促進審議会は、日置・勝部の2つの谷を青谷が受けている地勢にあり、経済生活は青谷を中心に行われていることから、青谷町(旧)・日置谷村・日置村・中郷村・勝部村の5ヶ町村(山西地区)が合併することが生活圏と行政圏の一致という点で理想であると答申した。その後この枠組みで合併協議会が発足したものの、当村は機が熟さず不参加となった事により、残る4ヶ町村が合併して1953年(昭和28年)7月1日に新・青谷町が発足した[1]。
その3ヶ月後の10月1日に町村合併促進法が実施され、合併によって生ずる様々な障害を取り除き国が財政的補助を与えて町村合併を促進させようとした。これにより1953年の合併に参加しなかった当村は1955年(昭和30年)3月31日に青谷町に編入、山西地区5ヶ町村が一体となった青谷町が新たに発足した[1]。
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沿革
- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 気多郡第五連合戸長役場を早牛村に設置[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、早牛村・山根村・河原村・小畑村が合併して村制施行し、気多郡日置村が発足。旧村名を継承した4大字を編成。役場は早牛村に設置されたが、後に山根村に移転した[1][3]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡日置村となる。
- 1915年(大正4年)1月1日 - 「日置村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「日置村大字◯◯」と改称[4]。
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 青谷町に編入。同日日置村廃止[5]。
行政
戸長
歴代村長
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教育
脚注
関連項目
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