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日蓮宗大荒行
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日蓮宗大荒行(にちれんしゅうおおあらぎょう)とは日蓮宗の修行の1つである。

内容
山梨県身延町の久遠寺と千葉県市川市の法華経寺・延寿院の3か所が道場として開かれる[1]。
毎年11月1日から翌年2月10日までの100日間、大荒行堂で僧侶が修行する[2]。世界三大荒行の1つとされる[3]。
修行僧は午前2時50分に起床し、1日7回の水行を行う[4]。食事は午前・午後とも5時半の1日2回で、基本はおかゆと味噌汁[4]。納豆などの副菜が付く日もある[4]。おかゆは底が見え、10秒で食べ終えてしまう量[5]。就寝は午後11時半で、睡眠時間はおよそ3時間[4]。睡眠・水行・食事を除いた時間は読経する[4]。声を張り上げ、法華経の決められた章を1日に繰り返し唱え続ける[4]。修行僧の衣装は清浄衣(死に装束)で、足袋は認められておらず裸足で修行する[2]。堂内には暖房が設けられていない[4]。外部の家族や友人と連絡を取ることは許されておらず、テレビや新聞などから情報を得ることもできない[2]。修行僧は寒さと飢えと睡魔に耐え、外界から遮断された環境でひたすら修行する[2]。
この大荒行を修了した僧侶は「修法師」の資格が与えられ、日蓮宗特有の加持祈祷である「修法」を行えるようになる[4]。延寿院ではこの祈祷の作法や伝書などを受け継ぎ、代々の住職は「伝師」として修業中の僧侶に伝授する[4]。修行の回数に応じて初行・再行・三行・四行・五行と呼ばれ、それぞれ秘法の伝授を受ける[3]。
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日程
毎年11月1日に鬼子母神堂で入行式を行い、僧侶は瑞門から行堂に入る[6]。
100日間の行は自行の行法(第一段)・儀軌相承(第二段)・木剱相承(第三段)・口伝相承(第四段)の4段に分けられる[6]。その中でも始めの自行の行法では滅法の祈りを捧げるが、この間35日間は外部との面会が一切許されない[6]。
年明けとともに第三段の木剱相承が始まる[6]。
翌年2月10日に成満式が行われる[6]。成満式では瑞門が開き修行僧が行堂から出て、修法師となって初めての法楽加持が一般の信者に対して行われる[6]。その後、満行式で伝師より祈祷法許が授与されて成満式が終わる[6]。
歴史
日蓮宗の荒行の始まりは、日蓮から京都弘通を委嘱された日像が1293年(永仁元年)に京都弘通の成就を願うため鎌倉の由比ヶ浜で身を清め、一晩に百巻の自我偈を読誦して、翌2月まで修行したことにある[7]。
遠寿院では1591年(天正19年)から100日間に渡る荒行を伝承している[6]。現行の修行システムは明治時代に形成[8]。しかし、修行中の死者や、誤った上下関係による暴力の問題が起きていた[8]。そのため、2017年(平成29年)から行堂改革に乗り出した[8]。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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