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早尾町 (愛西市)
愛知県愛西市の地名 ウィキペディアから
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早尾町(はやおちょう)は、愛知県愛西市にある地名。字が25ある。
地理
旧立田村域北端に位置する。
字一覧
(配列は五十音順・読みはYahoo!地図による[WEB 5])
- 井下野(いげの)
- 枝郷(えだご)
- 榎下(えのきした)
- 大西(おおにし)
- 晩稲場(おくてば)
- 川並(かわなみ)
- 北河原(きたがわら)
- 草場(くさば)
- 小中島東(こなかじまひがし)
- 新田(しんでん)
- 立切(たてきり)
- 堤敷(ていしき)
- 天上(てんじょう)
- 長瀬(ながせ)
- 長瀬東(ながせひがし)
- 流(ながれ)
- 西草場(にしくさば)
- 西立切(にしたちきり)
- 野薮(のやぶ)
- 舟原(ふなはら)
- 前並(まえなみ)
- 溝(みぞ)
- 南川並(みなみかわなみ)
- 南前並(みなみまえなみ)
- 村北(むらきた)
河川
歴史
町名の由来
『尾張國地名考』によると当町域以南は地面が低くなっており、田の水が早く落ちるために早水尾と呼ばれていたのが約されて早尾となったものという[1]。
沿革
- 3世紀中頃と推定される土器が出土しており、この時期には人が定住していたと思われる[WEB 6][WEB 7]。
- 鎌倉時代から戦国時代 - 尾張国海西郡赤目保の早尾村として所在していた[1]。このころに津島の豪族である大橋源三右衛門によって早尾東城が築かれる。
- 江戸時代 - 尾張国海西郡の尾張藩領鵜多須代官所支配の村として所在[1]。
- 1889年(明治22年) - 市制町村制下の早尾村となる[1]。
- 1897年(明治30年) - この年の木曽三川分流工事により水没した二老より光輪寺が移転[1]。
- 1906年(明治39年) - 立田村大字早尾となる[1]。
- 2005年(平成17年) - 愛西市早尾町となる。
世帯数と人口
2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
人口の変遷
国勢調査による人口および世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 8] | 539世帯 2127人 | |
2000年(平成12年)[WEB 9] | 573世帯 2157人 | |
2005年(平成17年)[WEB 10] | 579世帯 2063人 | |
2010年(平成22年)[WEB 11] | 594世帯 2020人 | |
2015年(平成27年)[WEB 12] | 618世帯 1962人 | |
2020年(令和2年)[WEB 13] | 616世帯 1833人 |
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 14]。
交通
バス
かつて県道津島南濃線上を名鉄バスが運行されていたが[2]、廃止されている。
道路
施設
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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