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早石修
日本の医師、生化学者 ウィキペディアから
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早石 修(はやいし おさむ、1920年1月8日 - 2015年12月17日[1])は、日本の医師、医学者。位階は従三位。専門は生化学、医化学。京都大学名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所理事長。医学博士(1949年、大阪大学)。アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれ。
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経歴
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
- 1942年9月:大阪帝国大学医学部医学科卒業
- 1943年:海軍軍医中尉任官
- 1946年3月:大阪帝国大学医学部助手
- 1949年7月:「抗菌性物質に関する研究」により、大阪大学より医学博士の学位を取得
- 1949年11月:ウィスコンシン大学酵素研究所研究員
- 1950年:カリフォルニア大学研究員
- 1951年:アメリカ国立衛生研究所研究員
- 1952年12月:セントルイス・ワシントン大学医学部助教授(微生物学教室)
- 1954年12月:N.I.H.毒物学部長
- 1958年3月:京都大学医学部教授
- 1961年2月:大阪大学医学部教授併任(生化学第一講座 1963年まで)
- 1968年:ヴァンダービルト大学教授
- 1970年4月:東京大学医学部教授併任(栄養学講座 1974年まで)
- 1974年12月12日:日本学士院会員(第7分科(医学・薬学・歯学))
- 1973-76年 国際生化学・分子生物学連合の総裁を務める[2]
- 1979年4月:京都大学評議員(12月まで)
- 1979年12月:京都大学医学部長(1981年12月まで)
- 1983年4月:京都大学退官 名誉教授
- 1983年6月:大阪医科大学学長(1989年まで)
- 1987年7月:財団法人大阪バイオサイエンス研究所所長
- 1998年10月:財団法人大阪バイオサイエンス研究所名誉所長
- 2004年4月:財団法人大阪バイオサイエンス研究所理事長
- 2015年12月17日:老衰の為、京都市内の病院で死去[1]。享年95[3]。叙従三位[4]。
ノーベル賞委員会が公表したノミネートリストにより、1972年から1974年までノーベル化学賞にノミネートされていたことが明らかになっている[5]。
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学外における役職
専門業績
- 酸素添加酵素「オキシゲナーゼ」の発見(1956年)
- ポリADPリボースの発見
受賞歴
- 1964年
- 1965年 - 朝日文化賞(受賞論文「酸素添加酵素の発見と研究」)
- 1967年 - 日本学士院賞(受賞論文「酸素添加酵素の研究」)
- 1975年 - 第16回藤原賞(受賞論文「POLY(ADP-RIB)の発見、その合成分解酵素の生物学的意義に関する研究」)
- 1976年 - ニューヨーク科学アカデミー生化学賞
- 1979年 - スペイン ヒメネス・ディアズ記念賞
- 1986年 - ウルフ賞医学部門
- 1995年 - イタリア ルイジ・ムサジョ賞
- 1999年
- ルイジアナ州立大学医学部・神経科学センター総長賞
- カルフォルニア酸素クラブ賞・終身名誉会員
- 第3回世界睡眠学会連合総会(WFSRS)第1回優秀科学者賞
- 2007年 - 大阪医科大学賞
栄典・顕彰
著書
- 『酸素と生命』東京大学出版会 1984
- 『プロスタグランジンの基礎と臨床 研究の歴史・現況と将来への展望』メディカルトリビューン 1988
共編
脚注
関連項目
外部リンク
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